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はしか

はしかが流行の兆しだそうだ。
海外からもたらされたウイルスで
国や国民の対応が追い付いていない。

若者が政治に目覚める事をはしかのようなものだとたとえた人がいた。
その方の文脈ではそれはコミュニズムであったが
私の場合はナショナリズムだったと思う。

実はロシアは各国の右派勢力を支援し、
国際的影響力を強めようとしているのだそうである。
かつてはコミンテルン、今は右派的イデオロギーを用いて各国の煽動をしている。

ロシアの歴史的な背景を知れば、
なるほどと思わされる。
イデオロギーとは煽動の道具なのだ。
発信者がソヴィエト共産党から
ナショナリストのプーチンに変わっただけで
手法は同じである。

人々の不満を察知し、
共産主義こそ、その解決策であると煽動する。
今は格差拡大を陰謀勢力の企みであるとして
排外主義的な愛国主義をあおる。

まことに巧みである。

はしかの種類は様々だ。
宗教原理主義
ナチズム
も同じだと思う。
多感で盲目的な青年期にシャワーのように
イデオロギーの洗脳を受けると
悲劇的な若者が生まれる。

多くは大人社会の矛盾や理不尽が根底にある。
大人の責任でもあると思う。
教育とは究極的には自分の頭の蝿を追うことかもしれない。
自分の頭の蝿を追う大人を見て、
若者が気づくのを待つ事が理想的な教育であろうか?
私は反面教師にしか現状なれていないまま、
齢は39歳になってしまった。
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身近な英文

Be sure to ventilate
by open the window
or
turning on the air fan
for use.

Otherwise
Carbon monoxide poisoning might result.

Be sure to ventilate (必ず換気して下さい。)
by open the window((換気するにかかる)窓を開ける事によって)
or(それとも)
turning on the air fan(換気扇を回す)
for use.(使用する時は)

Otherwise (さもないと)
Carbon monoxide poisoning might result.
(一酸化炭素中毒を引き起こす可能性があります。)

湯沸し器に書いてあった文章。

waste ごみ、廃棄物
collection 収集
calendar カレンダー

burnable 可燃ごみ
non‐burnable 不燃ごみ
recyclable 資源ごみ

訣別の詩

夢はすっかり色褪せた
幻はもはや目の前にない
あるのは荒野のような未来

荒野のような未来を一人で行く
その方がむしろ良い。
さようなら さようなら
僕は一人で行く事にした。

さようなら さようなら
悲しき道化の日々よ
さようなら さようなら
僕は一人で行く事にした

道化の日々はおしまいにしよう
少ない荷物で旅に出よう
さようなら さようなら
どんな未来が待ち受けようと
僕は一人で歩いていこう

yesterdayを筆写してみた。

ビートルズの赤盤、青盤を持っていた。
ビートルズアンソロジー1,2,3。
カーペンターズのベスト盤等、、、
津波に流されてしまう前はよく聴いた。

Help
Imagine
Top Of The World
などは、怪しげに口ずさめる。
しかし、意識して歌った事がない。

良い機会なので筆写して
片っ端から辞書を繰る。
英語への関心、好奇心を失わない為には良い方法だ。

しかし、壁に突き当たる。
恐らくくだけた言い回しなので文法的によく分からない。
上級編である。

カラオケが好きなので、この際マメに筆写しようと思う。

Sweet Sweet Smile
という曲があるが、メロメロスイートな曲である。
彼女でも出来たら歌ってもらいたい内容の詞であるが、
非常に早口で舌が回らない。

Yestedayも失恋の歌だとは薄々気づいてはいたが、
見事に失恋の悲しみをシンプルに表現している。

Yesterday
love was such an easy game to play
Now I need a place to hide away

昨日は。。。
恋はとても簡単なゲームだった。
今は、どこか遠くに消えてしまいたいよ。
(大体の意訳)

うまい。

切ない曲の方が自分は好きだ。

演歌では夢追い酒。
北の旅人とか
越冬つばめとか
冬のリヴィエラも好き。
昔の名前で出ていますもいい。

ドリカムの歌は切ない名曲揃いだが
LAT.43°N
この曲は一度カラオケで歌ってハマった。
歌っていて気持ちいい。

英単語カテゴリの記事にしようと思ったが
カラオケの話になってしまった。
雑記カテゴリに変更である(苦笑)


無力・非力な「私」

日本国、日本人がまもなく滅びるのではないかと
本気で思っています。
歴史を調べれば、国や民族は本当に滅びます。
大概悲劇と惨劇を伴っています。

しかし、存外わたくしは安閑としたものです。
自分自身の非力さ、無力さを認めると
抗いようのない運命とか圧倒的な力の存在が
信じられるからです。

たとえ、日本国や日本人が滅びたとして、
何がしかの痕跡は残ります。
特に文字や言葉は残る。

クムラン教団の死海文書や
フェニキア文字、マヤ文字、商王朝の甲骨文字。
タイムカプセルのように時を超えて蘇ります。

そのように、悠久の時間の中で見れば、
なんと人間の栄枯盛衰、一期の命のちっぽけなことか。

不思議な事ですが、
自分自身の無力さ、非力さを受け入れると
自然から力をもらっている事に気づかされます。

恐らく運命に抗わずしなやかに生きるのが
人間の理想なのだと思います。

理想ではありますが、
現実は自我に振り回されて、身を任す事の出来ない
日々をわたくしは過ごしております。

知らないことが多すぎる。

バビロニアがメソポタミアの下流域で
上流をアッシリアと呼ぶのは知りませんでした。
民族名だと思っていたのです。

民族だとシュメール人とか、アムル人、アッカド人など
がいます。それらの人々がそのバビロニアという肥沃な大地に興亡したということです。

同様にギリシアも混乱して覚えていました。
アカイア人、イオニア人、ドーリア人などに民族的なルーツは分かれるのです。

このような、マニアックな知識を蓄えるのも
限界があるでしょう。
だからこそ面白い。

日本国の良くないところはとっとと滅び廃れて
良いところだけが抽出され
時空を超えて残るのであれば
それはそれで愉快なことではあります。

カウンセラーとかアナライザーとかを野党は議員にすべきではないだろうか?

不祥事が起こると野党はすぐに責任者の更迭解任を求めますが、

なんでそんな事が起こったのか?
というメカニズムが解明された試しがありません。
責任を取らせて辞任させ
任命責任を突きつけて内閣を崩壊させる。

それしか考えていないように見えます。

シンクタンクみたいなものが日本にないのも問題です。

日本国はもう滅ぶと思う。

絶望的状況で今さら処方せんもないと思います。

保守派の人達が言うような日本ではなくなり、
進歩主義的な人が予想だにしなかった。
悪夢のような日本の未来が来ると私は思います。

特にも中華人民共和国の脅威。
具体的には経済的な支配と大量の移民。
移民が居住していることに基づく領有権の主張。

これに対抗すべく日本国政府はアメリカに平身低頭し
水道を売り、電気を売り、行政を売るという売国政策を推進する。

希望があるとすれば、
全てが破壊された後になにがしか素晴らしい
システムが構築される可能性があるということです。
今日本人と呼ばれている人々がその担い手になれるかは
わかりません。

「日本人は優れていて、神に選ばれた民族である。」
というような発想では夢も希望もありません。
やがて来る救世主にすがるしかないと
現実逃避のおかしな宗教熱に浮かされるかも知れない。

私は日本人は、世界のどの民族とも対して違いはないけれどそのユニークな国民性は以下によって培われたと思います。

狭い国土の中で
普段は美しく温和でありながら時に恐ろしい牙を向く
自然を恐れつつ、愛する。
人間の非力さを痛感しながら、みんなで協力し合い危機を乗り越える。

八百万の神々は、自然であり、
ご先祖の人々であり、
いとおしい日常生活の一コマであり、
人格のない神という存在を身近に感じる方便であると思います。

そして、日本には天皇という不可思議な存在がいて
連面と受け継がれてきた。
受け継がれてきたなどという言葉では生ぬるいかも知れないです。

天皇は時代時代で激流の中で翻弄され続けてきました。
自ら政を行い、戦にまで出向く天皇。
外戚に翻弄される天皇。
武士を利用し、武士に屈する天皇。
破れた築地塀の間から市井の人に御製の歌を売って
なんとか日々の暮らす天皇。

時代の激流に翻弄されながら、
天皇という存在が命脈を保ってきたのは
八百万の神々の祭祀者としての側面があったからだと思います。

天皇陛下は神様なのではなく、
天皇陛下が祈りを捧げる向こうに
われわれ日本人が大切にすべき神様、
超自然の存在がいらっしゃる。

私は宮中祭祀はなるべく盛大に行うべきだと考えてきましたが、時代の要請もあるのでもっと柔軟に対応してもよいと思うようになりました。
しかし、祭祀は質素にしても真心のこもったものでなければならないと思います。

伝統文化を継承する良い機会にもなっています。

自然に対する感謝を忘れてはいけないと思うのです。
天皇陛下と宮中祭祀は
日本の神々(=日本の自然と超自然的存在)と
日本人を繋ぎ止めるための
日本人と神々の宗教的な契約だと感じます。

これさえ、守り通せれば、
破壊の後に作られる新しい何かを
日本人が担う事が出来るのではないでしょうか?

私の考えを蒸留すると

日本人は
自然に対する畏敬と感謝の念を持ち
八百万の神々の方便によって超自然的存在にを
身近に感じて謙虚であり、
天皇という国家を代表する
「超自然的存在との
契約代行者」や身近にある神社仏閣を通して
節目節目に宗教的契約を更新する人々
である。

日本人は無宗教ではなく、
信仰が空気のように身近過ぎるために
外国人に何か聞かれても
ピンと来ないだけなのかも知れません。

逆に唯物的な価値観の浸透がどのくらい進んでいるのか気になるところです。
日本人が神様=自然に対する感謝と恐れを失っていれば
過った方向に突き進み、本当に滅んでしまうと思います。


政経ブログは韓国への愚痴ばかりに見える。

飽きないのが不思議です。
容易ならざる国と注意喚起する分にはよいと思います。
何かにつけて絡んできますからね。

その国を少ない労力であしらう事を考えた方が良いと思います。
共同戦線など晴れない国です。

一番理想はわが日本国が
国際的地位を高めひとつ頭抜けることだと私は思います。

経済か、文化か、軍事力か科学技術か
その全部で抜きに出る必要がある。
しかし、一番基底に位置するものは
教育だと思います。

さて、教育とはいっても
愚かな人の再生産、過った見解の再生産に成ったら
元も子もありません。

森友学園・加計学園の問題は
教育の質に関する問題と
開学に向けてのプロセスの強引さ
それらに対するメディアの追求への
まったくもって支離滅裂な内閣府、関連省庁の言い訳と
うんざりするものでした。

マスコミはフェイクニュースであるとの
安部応援団と呼ばれる人達の大合唱も
多感な若者には悪影響を及ぼすと思います。

「おまえこそ嘘つきだと」大声で罵り合い
声が大きい方がけんかに勝つ。
(これは声闘(ソント)といってお隣韓国が得意なんだそうですが。。。)

最近は不祥事があっても、
責任ある地位にしがみついて
知らぬ存ぜぬ、部下が勝手にやった、
向こうが嘘をついていると当事者が開き直る
ケースが増えました。

私は嫌韓まとめサイトを読むのがかつては
大好きだったのですが、
ウリジナル、オインクと言われる事案に
呆れたり、見下したりしてました。

ところが、今の日本を見回して
嫌韓サイトにのっていたウリジナルな出来事が
さまざま日本で起こっています。

よく考えれば当たり前のことでした。
新自由主義的経済学の洗礼を受けたのは
アジア通貨危機に陥った韓国が先です。
日本も構造改革だの金融ビックバンだの
グローバリゼーションだの、グローブだの
声の大きな人々が改革を叫び、
良き慣習も悪い慣習もいっしょくたにして
葬り去り、残るものは薄っぺらい存在実感の中、
日々金のためにあくせく生きる。

金さえ儲ければよい。
それが奥底の本音だから、
自分の手足を食うような馬鹿げた効率や
結局は企業宣伝につながる慈善活動。
偽善的なコンプライアンス、ガバナンスだけが
議題になる。

国の基幹統計不正疑惑も
野党は、本気で政権を取りたいという気持ちはないんだと思います。
かっこよく地元の有権者にアピールしたい。
国の事を本当に考えていたら、
ブーメランが戻ってきても
私も反省しなければいけないが、
今政権を担当しているのはあなた方だ
共に何がいけなかったか反省して
建設的な議論をしましょうとも呼び掛けない。

国会中継にどう映るか気にするより、
この国を思う気持ちの純度を深めていって欲しいとおもいます。

私が愚痴ってばかりの記事になりました。

人間性を高めれば、孫子も論語も仏典も読んでいてなにがしかの純度の高い思索を綜合できるのではないか?

兵法は人を殺す方策を論じたもの、
論語は為政者の都合の良い倫理の教科書、
仏典はお葬式の時にお坊さんが読み上げるものです。

しかし、お釈迦様の説かれた原始仏教では特に
仏像(お釈迦様の姿を形で拝む事を弟子に禁じましたし)
世界の構造や創造力を駆使して形成された輪廻思想を否定もせずまた、それに対する反論も何もされなかった。

われわれは毒矢を射された死にかけた怪我人である。
毒の種類や、誰に射られたのか、その理由や彼の身分はどのようなものか知る前に短い命を知らしてしまう。

これは、科学者や仏道に遠い人の皮肉に聞こえますが、
仏教の教えは縁起という人と人との関わりにより
良いほうへも悪いほうへも進むので、
好奇心に任せて学問するのはいいけれど
インテリになって回りの一生懸命インテリになったあなたを支えてる人の事も大事にしてね。

そうすると、お互いが信頼関係で結ばれて
心が安らぎますよ。
その縁起によって安らぎを得るのが幸せで
縁起を粗末にして不安苦しみを得るのが不幸です。

だから、いっそ好奇心や欲望を少なめにして生きると
別な豊かな心があることに気づきますよ。

ということだと思います。

この観点から見ると
私は仏教を一番底に置いているので、
孫子や論語は方便の実践になります。

論語は乱れた世を糺す君子を養成したいと言う願いがあり、
孫子は乱れた世をいかに軍事力で平和に導くか
その方策の実践的な書物です。

不戦屈敵が理想ですから
孫子は戦争好きではないのです。

このように、仏教は今を生きる全ての人々に
執着を棄てて、関係性の中に生かされている、関係性の中で教えられている自分に気付けは安らぎが生じる。
その安らぎは世の中がどうなろうと強固なものになる。

孔子は平和の秩序を建設するためには
君子という人格の優れたエリートが国を支配し良き秩序を形成する必要があると考えた。

君子の教養として必要なのは、
仏教、兵法、実学の知識でしょう。
そして、毒矢の例えの如く人生は短い。

ある人は絶望を見るし、
またある人は願いが人から人へ受け継がれていくところを見ます。

しかし、ある人はいずれにしろ一歩進んだのです。

私は純度の高い真理を抽出できるような人間になりたいです。

摘菜収さんの記事は良かった。

溜飲が下がる思いです。
思考停止の大衆。

民主党政権時代の悪夢でみんな思考停止しているかもしれません。
しかし、日本は冷戦終結後、アメリカに疎まれてきました。
だから、経済政策でアメリカが参入しやすい様に
経済構造の改革を求められてきた。
保守派は、一貫してそれに対抗しなければならないのに、安倍政権にケチをつけるなと、ひいきの引き倒し。

橋本龍太郎内閣であれ、
小泉純一郎内閣であれ、
安倍晋三内閣であれ、
民主党政権であれ、
一貫して同じ立場で批判するのが
「保守派」なのだと思いますが、

安倍氏個人への信任が厚いんでしょう。
全く人の良い人々、
いや、無責任な人々、
いや、誰のせいでもない民主主義社会の堕落です。

思考停止している。
マスメディアもニュースも思考停止。
大坂選手が優勝すれば、「ウワーッ」嵐が活動休止すれば、「ウワーッ」と取材陣が殺到し、
ウワーッと政治の話題が吹き飛ぶ。

大坂選手の偉業達成は素晴らしいことです。
でも、その裏で国会では売国政策が
どんどん可決成立していきます。

一応、地方創生とか銘打っていますが、
都市部の自治体が悲鳴をあげるような「ふるさと納税」政策は根本的におかしいと思います。

観光なら、歴史や文化など社会学習的なマニアックなニーズを各地域掘り起こすべきですし、
広域に連携してコンテンツがかぶらないようにしたりすべきです。

また、観光をメインに地域起こしをするのは
限界があります。
移住者が増えるような地域ごとの魅力の再発見が必要だと思います。

しかし、、、
「思考停止した大衆」の多くの方々が
日本国を支える勤労者でもあります。
この方々がいなくては一日も日本は持ちません。

食い扶持が稼げるようになってから
他人の批判はするべきだと
最近は思います。

しばらく、つまらない学習記事に専念したいです。

Veto(ヴィートー)拒否権

国連の安保理の常任理事国の拒否権は英語でVetoと
言います。

語源は古い言葉でローマ時代の護民官の元老院の決定に対して拒否する権利に由来するそうです。
元老院(議会)に対する拒否権はその後ローマ皇帝が有するようになりました。

アメリカ合衆国大統領の議会に対する拒否権。
アメリカ合衆国上院=United States Senateは
senate=元老院になります。

ヨーロッパ文明の基礎にはローマ帝国の政治・文化の遺産と、キリスト教文化の2つの流れが源流になっているのだと、改めて思い知らされます。

スーパームーン

今日はスーパームーンの満月で今さっき見上げたら
中天に高く満月が昇っていた。
あいにくの雪模様で煙っているが
ウサギがお餅をつくさまがくっきりと見える。

寒の満月である。

月だの星だの眺めるのは気持ちがいい。
人家の灯りの少ないところでは、
銀河鉄道の夜の世界を思い出す。

アニメーションの映画があったが、
何度もそのビデオを見た記憶がある。
登場人物が猫だったのも印象深い。

カンパネルラが持っていた黒曜石で出来た地図が
本当にあったなら欲しいと思った。

実際の猫も仕草を観察すると可愛い。
まず前足で顔洗い、続いて後ろ足で頭をかく。
その後ごろんと座って、お尻の穴をきれいに舐める。

猫の距離感が大好きだ。
尻尾で感情を表現したり、
気まぐれだったりする。

いつか猫を飼ってみたいと思う。

国際連合に関連する単語

◼IBRD(世319)
International Bank for Reconstruction and Development
国際復興開発銀行、世界銀行ともいう。
国際銀行です。復興と開発の為の(for)。

◼Atrantic Charter(世318)
大西洋憲章

1941年、初めて米英の連合国首脳が大西洋上で会談。
イギリスはウィンストン・チャーチル アメリカはフランクリン・デラノ・ローズベルト


◼国際連合憲章(世318)
Charter of the United Nations

チャーターは動詞では貸しきる、借りきるの意が強いが
名詞形だと、勅許、政府かどからの免許、設立趣意書
などの意味がある。

語源はラテン語のcharta(カルタ)で世界史で出てくる
イギリスの成文法マグナカルタ
もマグナ(magna)=大+カルタ(charta)で大憲章という意味になる。
イタリアもギリシアの植民市が沢山できたときは
マグナ・グレキア(大ギリシア)と呼ばれた。

カルタ(ポルトガル語)遊び、カルテ(ドイツ語)も同語源

香港ドルの発券銀行として有名なスタンダード・チャータード銀行は南アフリカのスタンダード銀行とアジアオセアニアなどの英植民地の銀行であったチャータード銀行が1969年に合併して出来た銀行だが、
チャータード銀行は1853年にジェイムズ・ウィルソンという人がビクトリア女王からの特許状交付に基づき設立した。Chartered Bankの名はそれに由来するようだ。

この憲章がよくも悪くも第二次世界大戦後の世界の秩序のベースになっている。

◼国際連合
United Nations
=連合国⬅第二次世界大戦で勝った側の団体である。
日本やドイツは、勝った側に加わる形で国際社会に復帰した。
※非常に穏当な意見になってしまいますが、地球の諸問題は人類の話し合いで解決するしかないとは思います。
しかしながら、力ずくでの解決に訴えているのは、誰か?力ずくで既得権益を守っているのは誰か?
ということを明らかにすべきでありますし、
今のように各国が互いのエゴを主張しあうばかりでは、
議論は平行線であります。
相互の立場を理解し合い。落としどころを探る。
それが政治ではないかと思います。



United
[ju:náitid]
(1976右)
形 1.団結した、協力した、まとまった一致した。
  2.全員の、共同で
3.国家などが連合した合併した。

the United Arab Emirates
アラブ首長国連邦 首都 Abu Dahbi
United Kingdom
イギリス 首都 London
United Press International
UPI通信社アメリカの二大通信社のひとつ。
(もうひとつはAP通信社Associated Press)
※もっとも、この辞書の記述は過去のもののようだ。
UPIは統一教会系のNWCという会社に買収されたようだ。
(さすが、したたかな宗教団体である。)
今は元ニューヨーク市長の経営するブルームバーグが
報道機関としての地位を確立しつつあるようだ。


uni- ラテン語のunusから、意味はto one(1つにする)の意。

【参考】ラテン語の数字
uni 1
bi 2
tri 3
quadr 4
quinqu 5
sex 6
sept 7
oct 8
nona 9
deca 10
cent 100
milli 1000

【参考 ギリシア語の数字】
mono 1
di 2
tri 3
tetra 4
pentagon 5
hexa 6
hepta 7
octa 8
ennea 9
deca 10

さて、uni-のつく単語は結構多く調べると意外な語が見つかり楽しい。辞書の1975~1977ページにある。
unicorn 一角獣
unicycle 一輪車
unify 統一する
uniform 制服(みんな一種類の服を着る)
union 労働組合(団結)
unique 格別な(1つしかないからユニーク)
unison 斉奏(一斉に奏でる。)
unit (単位、1個の、1部隊)
Uniterian(三位一体説を否定するキリスト教新教の一派)
unite(団結する)

Nations
[néiʃ(ə)nz]
(1212左)
【原義は「文化・言語などを共有する民族、国民」】
語根 nat の意味
nasci(ナスキー) to be born「生まれる」
国、国家、国民

cognate
international
internationalization
internationalize
internationally
multinatiol
nation
national
native
nature

(Gogengoさんという、英単語の語源サイトがあります。
参考にさせて頂きました。)



以下国連の主要六機関について記します。

◼国連総会
United Nations General Assembly


General(748)
[ʤén(ə)rəl]
(語源)同じ種族genus


1概略の、おおまかな、概説的な
2全体的な、全般的な
3一般的な、通常の


Assembly
[əsémbli]




国連安保理の常任理事国

Permanent Members
P5というそうだ。

辞書の1352ページの右側の解説をみた。
絶望的になった。

常任委員会などという学校の生徒会のようなものではない。
日本は金を出しても、逆立ちしても国連のパーマネントなメンバーにはなれない。

国連憲章に定められてあるからだ。

一人の日本人として認識が甘かった。

このままでは、第二次ポエニ戦役でローマに敗れた後の
カルタゴではないか!!!

日本人は世界の混迷を前にして、
国連秩序に代わる新しい秩序を真剣に考えて
世界に広く問題提起すべきではないか?

permanentの語感に絶望を感じた瞬間でした。

stackとstuck

コンピューター関連ではstack(積み重ねるの意)が用語として使われる。
われわれ、雪国の人間にはstuckがなじみぶかい。
積み重ねのstackと、
にっちもさっちもいかなくなるのstuck。

もちろん。ステェアーックのほうが良い。
本当は発音記号を正確に記したいです(汗)。

私は駄馬ですが、
名馬が1日でかける距離の目的地にも
10日かかって走れば辿り着くことは出来ます。
(このような内容は荀子の修身篇の中に出てきます。)

以下最近の単語学習を記して行きます。

stuck(1797左)
動詞としては、stickの過去形、過去分詞形
形容詞としては、be stuckで
1 固定した、動かなくて、動かなくなって
2 行き詰まって、にっちもさっちも行かなくなって
などの意味になる。

stick(1776左右)
名詞としては、棒切れ、杖(主に英国)、
スポーツのスティック、むち などの意味

動詞としては、他動詞として
1 (紙など)を(のりなど)で貼り付ける
2 を(無造作に)置く
3 を刺す、突き刺す
6 人、車などが動けなくなるなどの意味がある。

自動詞としては
1 くっつく、はりつく
2 刺さる、突き出る
4 動かない、はまりこむ
などの意味があり、

stick sticks stuck stuck sticking
と語形変化する。

※私が引用しているのは三省堂のWISDOM英和辞典で、
この辞書の特徴は、ネイティブの人の言葉の使用頻度を独自にデータベース化して単語の意味を記述している点です。

辞書は巻頭と巻末に熟読すれば、飛躍的に単語学習の効率が上がる情報がたくさん転がっていると思います。
例えば表紙の裏の本書で用いる記号一覧や発音記号表。

囲み記事の一覧目次もあります。

また、原形過去形過去分詞の 一般的な変化をマスターし、かつまた、巻末2121ページの不規則動詞表を
頭に叩き込めばかなり、学習は楽になると思いました。


(平成31年1月19日 追記)
フェニキア人は必ず1日で航海を終えられる距離に小さな港を建設し、さらに未知の海域に進んで行ったといいます。船着き場を三方向に確保するために岬の突端を選び、岬の丘に小さな砦と、その後ろに充分な農地を確保できる土地を好みました。

ボキャブラリを広げる学習は、私もフェニキア式で行きたいと思います。
私の問題は、あれこれと店を広げて散らかしっぱなしにすることで完結してないということが、大きな欠点です。

未了のままにするのではなく、
短くても記事を細分化し、カテゴリを実情に合わせた方が読みやすいかもしれない。

と、いうことで他の単語は別の記事に改めたいと思います。

対韓国外交

ざっくりしたタイトルで申し訳ありません。
レーダー照射問題や徴用工問題で、日韓関係がこじれております。
(まあ、ぐだぐだなのは、今に始まったことではないです。天地開びゃく以来かの国とはぐだぐだの関係です。)

我が国を非常にライバル視してきて、
付き合うのが面倒な国なんですが、
あまり、かの国と本気で争うのも時間やエネルギーの浪費だと感じます。

なぜならば、彼の国との紛争の勝敗は、
歴史的に、世界情勢の大きな枠組みの中ですう勢が決まります。だから、感情的な形では決着がつかず
多くの場合政治的に解決してきました。

日本の言い分を通すためには
国際社会を味方につけねばなりません。
が、しかし日本は無理だと私にはわかって来ました。

主権国家としての外交権がないのです。
アメリカの子分です。
韓国もアメリカの子分ですが、最近は中国に鞍替えしています。
しかし、未だ韓国もアメリカの子分。

というわけで、子分同士のいざこざは勘弁してほしいのが、アメリカの本音でしょう。
だから、韓国を追い詰めてもアメリカと中国が助け船をだし、日本がはしごを外されます。

安倍総理がかつて言っていたところの
「戦後レジウム」のしっこくが
未だに日本を苦しめているのです。

第二次大戦の戦勝国がいまだに既得権益を手放さない世界です。敗戦国である我が国は辛抱我慢が必要でしょう。どちらかというと華々しい名声より、
着々たる実績を求めなければならないと思います。

どちらかというと安倍総理は名声の方がお好きなように見えます。
名を捨てて実利を得る方に動いてくれればよいのにと思います。

結論としては韓国には、
同一レベルで争わず、必ずアメリカや中国、ロシアなどと利害が一致する問題で組んで一人で突出しないのが賢明な対処法ではないでしょうか?

韓国には恥を感じるという感覚は希薄です。
あくまで利害得失で迫らないといけません。
(こう書いて韓国の人のプライドに火がついて
東方礼儀の国の本領を発揮して自らの非を詫びて
頂けると有りがたい。)

新年の占い

新年明けましておめでとうございます。
本年も拙ブログをよろしくお願いします。

これは、あくまで私個人の易占の結果であります。
必ずこうなるわけではなく、みんなで易の忠告を守れば回避できる事もあります。読者の皆様は予めその点ご了承下さい。

◎今年の世界の政治情勢
本卦 困
之卦 后
之卦の六三

世界の諸問題の解決は遅々として進まないが
進行がゆっくりだとのりきれ思いがけない打開策
に巡りあうかも。


◎今年の世界の経済情勢
本卦 升
之卦 恒
変爻 六四

状態は悪くはない、経済界の新しい試みが芽吹く年に。しかし、晋の卦のように日の出の勢いというわけではなく、新しい産業やビジネスモデルが芽吹き確実に根付かせることに専念すれば、それらの産業は長きに渡り、人間生活に不可欠の産業になる。


◎今年の日本の政治情勢
本卦 否
之卦 晋
変爻 九五

閉塞感の重苦しい状況、大往き小来る。
小人の蔓延る状態である。
しかし、大人が政治の世界に現れるか?
九五の爻辞には現在の閉塞状況の進行を留める
ような兆しがあり、君子には吉。
しかし、小人にはますます、閉塞感がきわまり破滅にいたるかもしれない兆し。
君子大人でも
「それ亡びなん、それ亡びなん、苞桑にかかる」
根が一本しかない桑の木のようにそこが離れてしまったら終わりであると自戒し、根っこを大事にしなければならない。

◎日本の経済情勢
本卦 賁
之卦 遯

景気は減速すると見られる。賁は夕映えの山を現し、
夜の訪れが迫る。逃げ足を早くする必要がある。
土地、株、合併買収など低コストでリターンの大きさを狙う商売は危うい事になりそうだ。
地に足をつけ、経営資源をすぐには商売にならなくても、次代に必ずや求められる新しいビジネスに投資すべきかも知れない。

◎日本の外交情勢
本卦 困
之卦 咸
変爻 六三

六三の爻辞には、身の程を忘れて突き進み、
石にけつまずいたら、糞の上にいた。
泣き面に蜂、弱り目に祟り目のようなさんざんな様がかかれている。
今年は日本外交大敗北の年になるやも知れない。

しかし、之卦は咸である。
ある意味日本国の朝野に衝撃が走ることによって、
政府も国民も国際外交の現実を思い知らされるはめになる。しかし、不当な敗北を感情的に憤るだけでは大東亜戦争のような破滅が待っている。
私たちは、幕末から明治の先人に学び、暴力的な内乱を避け、今年の敗北による不利な状況を政府も民間も一丸となって打開するように知恵を絞らねばならないだろうと思う。


◎日本の今年の災害
本卦 比
之卦 観
変爻上六

比の上六の爻辞は恐ろしい。
災害対策が急がれるが、既に時機を失ってしまったようだ。今から従来型の対策を推し進めても間に合わないだろう。私たち国民は国や自治体をあてにして行動するのではなく、日頃から防災意識を高めていくしかないだろう。
之卦の卦は観であり、物事の見方についての卦である。
従来の災害対策を休んで、昨年に起こった災害を始め様々な事例について丁寧にどんなことがあったのか客観的に調査することが必要なのだと思う。


◎総括
今年の世界は国民国家の政府は互いにエゴをぶつけ合い、政治的には停滞するが、経済面では新しい光明が差す年になりそうだ。
しかし、日本国にとっては厳しい年になりそうである。
安倍首相が立派な総理大臣として、慎重にこの難局を乗り越えてくれることを心から願う。
さもくば、新たな大人が政治の世界に登場し、
閉塞感を止める年になるかもしれない。
経済は明るい見通しではなかった。
また、外交も厳しい。大きな災害にも見回れるかも知れないが従来型の取り組みではもはや手遅れだ。
あらゆる災害(戦争も含む)に対する総点検を行わないといけない厳しい卦がでたと思う。

時計が出てきた。

部屋の大掃除をしていたら、
腕時計の箱を発見した。
実はこれは一昨年に岩手日報社から頂いたSEIKOの時計である。

私は呆れたことに、この記念品に気付かなかった。
そのまま、本棚の片隅で一年余もほったらかしにしていたらしい。
驚く事に、その時計は秒針が動いていて、
さらに、スマホで確認しても正確に時を刻んでいる。
裏にはしっかり、「優秀配達員表彰、岩手日報会」と刻まれている。

「私に時間が戻ってきた」と思った。
腕時計は針を休めてはいなかった。
この長い休息もきっと何かの役には立つのだろう。
時計の裏の刻印に背中を押された気がした。

お恥ずかしい話だが、私にはとてもうれしい出来事だ。
来年が平和で安らかな一年に、
世界中が、私や、私の有縁の人々が
そうであるように祈りたい。

日々祈りつつ、秒針の如く進もう。
祈りつつ、もう少し部屋の片付けをしよう。

このブログの全ての読者の皆様の、来るべき新年が幸多からんことを祈念します。
良いお年をお迎えください。

おしまい


顔文字は新たなる象形文字か?(そこまでのことはないか(笑))

[布団]っω‐)おはよう・・・
(・∀・)
(°∀°)人(°∀°)ナカーマ
(´・ω・`)ショボーン
(・`ω・´)キリッ

後世に「トランプショック」と呼ばれぬ事を祈るばかり

すっかり、時事問題に疎くなってしまった。
しかし、ここ数日で驚いたニュースが幾つかある。

まず、煽り運転の裁判だ。
犯人の身勝手な振るまいには憤りを覚えるが、
危険運転致死傷罪ではなく、
他の罪、未必の故意による殺人罪とか
傷害致死罪で裁くべき事件ではないかと考えさせられたりした。

法理というか、道理というか無理のない判決を下さないとならないと思う。1つの判例は類似の事件の重要な判断基準となるからだ。

煽り運転の厳罰化には賛成だがどの法に違反することになるのか、みんなで議論すべきだと思う。

二つ目は、クラタカウ火山の噴火と津波の発生だ。
まったく私の想像を絶する出来事だ。
火山噴火から津波が発生する事があり、
同じような事例は日本でも考えられうるそうだ。

日本はプレートがぶつかり合う位置にあり、
火山活動が活発で温泉天国だ。
しかし、温泉の下ではいつ大きな火山活動が起こるか分からない。
海が遠いから、平地だから、という考えは捨てた方が良いかもしれない。災害はどこでも起こる。
人間の対策には限界があるので、臆病になるくらいには備えた方が良いのかもしれない。

三つ目はマティス国防長官の辞任報道だ。
私は一番の危惧を感じる。
感情的なトランプ大統領をしばしば抑えてきた。
マティス国防長官は従来のアメリカの外交プロトコールに沿う形で現実的に対処しようと心がけて来たように見える。トランプは彼も煙たがるようになったのかと思うと背筋が寒くなる思いがする。

シリア問題がきっかけというが、
このままではロシア、中国、イラン、北朝鮮などに
利する結果になりかねない。
アメリカがNATOや日本などともめている間に
ロシア、中国が力を蓄えて、アメリカを超える軍事力を手にいれるかもしれない。

アメリカ軍は対テロ戦争で消耗しきっていて
敵を2つ以上かかえて戦争を起こすのは難しくなっている。
その事実をマティス長官は理解していた。
そしてそれをカバーするために苦心していた。

そして最後はトランプ大統領と米国議会の対立である。
政府の一部機関が閉鎖されたようだ。
また、米経済の先行きが不透明になっている。
日本でも株価が急落したが、日銀が株を買い支えるのが常態化しているので、長期化しないかもしれない。
しかし、それでもアメリカ、世界経済の好転頼みであると思う。

経団連の会長や麻生財務大臣が日本経済には何の問題もないとの見解をしめしたが、
日本経済は世界経済に対して何らの影響も与えないの間違いではないかと皮肉りたくなった。

日銀は売られた分の株を買い支えるしかない。
後は世界経済が好転することを祈る他ない。

なかんずく、トランプ大統領の双肩に世界の経済と外交安全保障の未来がかかっている。
トランプが失敗したら、後世この失敗はトランプショックと呼ばれるに違いない。

暗算の達人

楽しいが頭が疲れる。
古事記の長い名前の神様になれるのも苦痛だったし、
ギリシア、ローマの名前にも慣れない。
タッチタイピングも苦手だった。

慣れるまで辛抱だが、
二桁の数字と11のかけ算のやり方を
ここでご紹介しようと思った側から忘れている。

とほほ~(;´д`)

言の葉拾い

最近、感銘を受けた文章や詩歌を、ジャンルを問わず
書写する事にしている。

それ自体を紹介する記事も書きたいがまだまだ集まっていない。

題名は妙葉抄にしようと考えている。
「妙なる言の葉を抄(すく)いとる」というくらいの意味である。

抄いとる私は一個のスプーンに過ぎないけれど
身に付くように努めたい。

時しらぬなげきのもとにいかにしてかはらぬ色に花の咲くらむ

これは新待賢門院(後醍醐天皇の寵妃 阿野廉子という人)の歌で新葉和歌集にあるそうだ。

藤原俊成・定家親子

藤原俊成(1114~1204)
永久二年生
元久元年没
鳥羽天皇、崇徳天皇、近衛天皇、後白河天皇、
二条天皇、六条天皇、高倉天皇、安徳天皇、
後鳥羽天皇、土御門天皇の御代を生きた。
90年の生涯で激動の時代を目の当たりにした歌人だ。
確か、平家物語でも忠度都落ちの場面に登場する。

官位は正三位皇太后宮大夫。
五条三位と呼ばれた。
法号は釈阿。
千載和歌集の撰者。
幽玄の歌風を理想とし、中世の美的観念を方向付けた。
家集「長草詠草」
歌論書「古来風体抄(こらいふうたいしょう)」
がある。
(小学館・古語954中)


藤原定家(1162~1241)
応保2年生
仁治2年没
二条天皇、六条天皇、高倉天皇、安徳天皇、
後鳥羽天皇、土御門天皇、順徳天皇、仲恭天皇、
後堀河天皇の御代を生きた。

父と同じく乱世の中を生きた歌人だと思う。
さらに、貴族政治から武家政治という
パラダイムシフトを体感した人だ。
Wikipediaの記述によれば気性が激しく、
かなり強情な性格だったらしい。

正二位権中納言。
(京極中納言と呼ばれた。)
父俊成の「幽玄」の作風をさらに深め、
「有心(うしん)」の作風を生み出した。
法名は明静
新古今和歌集の撰集にあたり後鳥羽天皇の補佐として
中心的役割を果たした。
毎月抄(まいげつしょう)
小倉百人一首も有名。
また、古典の書写をよく行い、優れた校訂者としても知られる。
(古954中)

また、漢文体の日記を記している(明月記)
この日記は記録が克明で史料的価値は高く国宝にしていされている。
現代に続く冷泉家は藤原定家の子孫である。

ちなみに、戦国武将の冷泉隆豊は周防の大内氏の諸流にあたる。
それが冷泉を仮冒したのは始祖興豊の母が冷泉家の娘だったことによるらしい。


あらためて定家に向き合いたい。

花さそふ比良の山風吹きにけり
こぎ行く舟の跡みゆるまで

宮内卿

この歌を初めて知ったのは高校古文の授業だった。
情景描写のあまりの美しさに授業後感動を先生に伝えた。「絵画的だよね」古文の先生は言った気がする。

内に帰って父にもこの歌の素晴らしさを語ると、
新古今だろう?定家はあまり好きじゃないと言っていた。

20年くらい前の藤原定家のイメージはあまりよくなかった。だが、最近は中世の神格化の虚飾をとりさり改めて日本の中世時代の美の文化の創造者として見直そうとする動きが強くなっているようだ。

桜の花をはらはらと散らす比良山おろしが吹いて
湖面は花びらで埋め尽くされている。
そこを通る艫舟の航跡がくっきり見える程である。

四十雀(しじゅうから)

長年の謎が解けた。
四十雀という鳥らしい。
近所のおうちの竹林をねぐらにしている。
竹林に住むなんて舌切り雀の昔話みたいだと
思っていたが、どうも雀のような茶色い体ではない。

体色はおしゃれな黒白のツートンカラーで、
黒のスーツに白いネクタイをしているようにも見える。
横着せずに調べればネットで出てくる。

名前を知れば歌にも詠めるというもの。

魚紋で一首

鳥も月も笑はば笑へ手のひらの小さき魚紋にすがる我が身を

小指の下に結婚線に連なる形で出ています。
いまだ薄かったり消えたりします。
フィッシュとしてはっきり濃く出て欲しいです。
シマになるのはいやだなあ。

身を引くにしても、進むにしても
その人の一番望むように生きていければいいなあ。
忍ぶ恋こそ武士にとって最高のもの。

ご縁とか、タイミングとか難しいものです。

「暗算の達人」なる本を買う。

ちゃんとした(典拠や正確な引用がなされた)記事をしばらく書いていない。
ホームページ化も整理も全く進んでいない。
しかし、はや極月の師走である。

平成の御代もまもなく終わろうとしている。
安倍政権はモリカケ疑惑をどうやら乗り切ったらしい。
すっきり解決した訳でも、政権がうまくさばいた訳でもない。

ただただ、問題が次々に現れては
世間の耳目はそれを流されるままに見ている。
いいとこどりで物分かりがよく見せているが
個人主義というより利己的なリベラル派の
精神世界軽視のつけであろうし、
また、今の安倍政権の在り方を「是」とする人々は
売国の片棒を担ぐようなもので。。。
はっきり言えば日本国が詰んでしまった。

歴史ある我が国が滅び行く時代に
立ち会うとは幸か不幸か分からない。
不吉な事をいうなと考える方々は率直に頑張ってほしい。

絶望的局面を打開する為には
不滅のシンボルたる不落の孤塁が必要だし、
別動隊の助けも必要だ。

前者は不屈の姿勢を相手に示すため
後者は仲間を集めるためである。

この倒すべき真の相手を。。。
私はニヒリズムではないかと最近考えている。
ニヒリズムのカオスが世界を飲み込み、
人間存在のアイデンティティーを脅かしている。

勢い人間は拝金主義に走り、
精神は貧困になり、
若者は生存実感が稀薄となって
生気を失っている。
(しかし、鬱屈としたパワーはマグマのように蓄積されている)

こう書いて私は未来を悲観はしていない。
国家ととらえれば嘆かわしい状況だが、
変えられる唯一の存在がある。
他ならぬ自分自身だ。

批判をするのは簡単だが、
ようは己の頭の蝿を追えという話である。
そこには、無限の沃野が広がっている。

恐らく日本国は日本国民一人一人が
人間としての生気を取り戻せば
自ずと国家に和は生まれ、好循環が起こるに違いない。

そんな思いで、盛岡の書店の書棚を眺めて歩いた。
法学、文学、右派の思想書などが目に留まる。
今の私にはどれを買うのもカネの無駄に思われた。

数学書の書籍に目が行く。
高校時代、順列組合せの授業で
先生が「もれなく、重複なくだぞ!」
と強調していた事を思い出した。

今さら国立大にでも入るのか?
心中には冷笑的な私がいたが、
「これだ」と興奮するもう一人の私がいた。

合理的思考力。
この教養を身に付けねば、
他の教養も合理的に身に付けることは出来ない。
数学は何が苦手かというと、
定理公式を暗記すること暗算で計算ミスばかりする事であった。

特に暗算は苦手中の苦手である。
税抜き1500円。
さてこの投資生きるか無駄になるか
未来の自分に聞いてみたいものだ。




右手の結婚線に魚紋あらわる。

気のせいだろうか?
しかし、魚紋らしきものさえめったに出ない。
汚く出るのはただのシマで結婚関係の障害でしかない。
はっきりといかにも幸運のオーラを放つような雰囲気の
魚紋が良いのだそうだ。

はっきりと今後は浮き出てくれないものか?
意中の人がおぼろげでもいるときは
藁にもすがる思いだ。

でも、その人ではないかも知れない。
近々新しい出会いが待っていると信じたい。
焦らずとも占いに頼らずとも真面目に頑張っていれば
そのうち幸運も訪れるとは思うが、
身悶えするように恋に苦しむのも煩悩とはいえ、
楽しいことでもある。

月やあらぬ春や昔の春ならぬ
我が身一つは元の身にして

在原業平

悲しい恋があればこそ
良い歌も詠めるというものだ。

ざるにはざるの役目がある。

ざるにはざるの役目があると思います。

ざるは鉢のように何かをもれなく溜められない。
しかし、ざるは水をきったり
不要な小さな物を穴から逃がして
必要な大きな物だけ残すことが出来る。

ざるは鉢にはなれないですが、
使い方が違う。

私はざる頭ですから、頭の使い方を考え直そうと思います。

そうだ、地球が何個もあれば良いんだ。~神の恵みか悪魔の囁きか~

現代の経済発達した先進国のライフスタイルでは
地球が1つでは足りず、2個3個増やさないと維持できないと言われています。

しかし、現代科学の水準では1000年2000年スパンでないと宇宙への進出はまず無理です。
ところが、ヴァーチャルリアリティーの世界ではそれが可能です。

仮想空間を現実世界と同じようにこしらえて
その中で、人間は自己実現を目指す。
物質的な欲求をバーチャルな価値を得ることに置換する。そうすればリアルな世界では少欲知足で多くの人と 限りある資源を大切に分かち合えます。

しかし、このアイディアは恐ろしい懸念を持っています。それは魔王の所行です。
一部の人がリア充になり、その他大勢にはバーチャルな欲望で惑わせて感覚を麻痺させ、永遠に奴隷にしてしまうことです。

バーチャルリアリティを考えるとき
私は何故か華厳経に説かれている他化自在天を想起してしまいます。

食べ物は食べなくても食べられたり、
セックスは互いに目を合わせるだけで同じだけの快楽が得られ、子供は念じれば膝の上に現れる。

欲望の塊のような人間にとっては憧れのパラダイスのようですが、阿弥陀如来の極楽世界のように全てが平等で清らかで安らぎの中に暮らす世界とは大きく異なります。

他人の欲を自在に我が物とする他化天の大魔王が存在するのです。(ちなみに他化天は物質世界の最上位層に位置し、有頂天とか下から数えて六番目なので第六天などと呼ばれます。だから織田信長が第六天魔王と恐れられましたがこの異名にはこのような由来があったのです。)
ここに転生したいと願う者は大変な善行を積んだり苦行したりしなければ生まれられませんが、
生まれたとしても、他化天の魔王の家来にならねばなりません。また、他化天の魔王自体に転生したいのであれば、それはまた、格別の努力辛抱がそのいのちに求められるでしょう。

ところが、源信僧都の往生要集には、
他化天の大魔王の臨終の際の非常な苦しみが
描かれています。
楽しい思いをしてきた分死ぬのは苦しく、
悪臭を体から放つので家族も近寄れず
孤独と他化天での快適な暮らしを失うことの恐怖や
次に生まれる世界への不安に苛まれて
長く苦しんで死んでしまいます。

だから、他化天は壮麗な世界ではありますが、
浄土ではないのです。

しかし、この他化天の宮殿に入られて
究極の教えを説かれた仏様がおられます。
ビルシャナ如来です。
奈良の大仏様です。

どのような教えを説かれたのか失念しましたが、
真言宗の本尊である大日如来も他化天の宮殿で
教えを説かれたました。
そのお経が理趣経です。

大日如来はマハーバイローチャナ、
ビルシャナ=バイローチャナなので
大ビルシャナ如来ということになります。

この仏様は不思議な仏で
悟りを開いている仏陀であるにも関わらず
菩薩のようにきらびやかな装身具を身に付けています。
顔つきも口が突き出て目が鋭く、
穏やかというより、怖い顔をしています。
衆生の救済の方法を真剣に考えている表情だとか
仏法全体を守護する為に睨みを聞かせている顔だとか
言われているようです。

このバイローチャナ仏は仏様の力が太陽のように偉大なものであると象徴しているのですが、
どうもモデルは太陽神だったようなのです。
それもインドでは非天とされ天界から追放された
アスラの王です。アスラ王にヴィロチャーナとよばれる者がいて仏典に登場するそうです。

このアスラはインドではブラフマンとかインドラとか
の神々の敵役になっていますが、
なんとペルシアでは立場が逆転します。
アスラはペルシアでは神と崇められていました。

ヴィロチャーナはすなわち
ゾロアスター教の光の全神アフラマズダと
同じであるということになります。
後期仏教である密教が発展する中で
非天だったはずの太陽神が
仏の悟りをえて大日如来になる過程は
大変興味深いところですが、
この大日如来の精神で新しいバーチャルの世界を切り拓かなければ人類の未来は他化天の大魔王に牛耳られてしまいます。

太古の世界宗教であるゾロアスター教の概念は、
仏教、原始ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に様々なインスピレーションを与えました。

この裾野の広い精神世界を共通基盤として
未来の世界を考えれば、
他化天の大魔王も道理を悟り協力してくれるのではないかと思います。



唯識三年倶舎八年

唯識論を学ぶ為には、倶舎論を八年かけてまず学ばねばならない。
すると唯識論を三年で学べぶことが出来る。

仏教の世界の言葉ですが、
全てに通じると思いました。

学業を怠ると損をします。
教養を身に付けないと物事が正しく
スムーズに理解できません。

資格を身に付けようと、
宅建の勉強をしましたが、
全くの苦痛で、しかも頭に入らない。
どうやら民法が大事である。
民法を勉強する。
しかし、学習習慣を身に付けていない私は
全く歯が立ちません。
いろいろな分野の知識をかじってはみるものの
浅薄な知識しか身に付きませんでした。

愛国心に目覚めたのは震災以後です。
郷土の一地域のみでは物事は解決しないと
痛感させられたからです。
折しも民主党政権が国民の批難の内に崩壊し、
安倍晋三総理が「救国の宰相」として華々しく復活した頃にネットの動画や三橋貴明氏の経済本を買って
日本が良くなるにはどうしたらよいか、
勉強したくなったのでした。

保守派の論客と呼ばれる人達が反対を大合唱したにも関わらず消費税が5%から8%に上がったのをきっかけに
保守派の内ゲバが始まったように私には見えます。
リフレ派対ケインジアンの分裂。
親安倍派と反安倍派との分裂。

東京都知事選に出馬した田母神俊雄氏の金銭スキャンダルが発覚した後は、
いてもたってもいられなくなり
憂国のサイト、陰謀論的ネトウヨサイトを立ち上げました。

どこでもそうでしょうが、特に我が国では政治に関しては無色な方が人付き合いも商売もうまく行きます。
(世界史的に優れた商業民族は政治には関心を持たず強者に依存する事によって商売の自由を獲得してきました。)
何らかの商売を一生の生業としたい私にはこのサイトは
黒歴史以外の何者でもないかも知れない。

しかし、世界が狭くなった現代において
政治的な見解をしっかりもって、しかも平和的に
紛争解決にあたり、新しい秩序を構築しなければ
人類の永続的発展は望めないと私は思います。

私にはネットを中心とする保守論客の主張に
その解決策があると信じていました。
しかし、このサイトを書くようになってから
他人の受け売りではいけないと裏取りをするようになりました。

ここで、保守論客一人一人の主張の違いが分明になり
また、ブック左翼と括られるような進歩的、戦前日本全否定的言論に改めて接したりして、私はいよいよ分からなくなりました。

一体誰の言っていることが正しいのだろう?
(まあ、私は仏教徒なので仏様の見解が
正しいと信じているのですが、)
いよいよ自ら学ばねばならないという
思いが日一日と強くなっています。

私の身の上自体が轍の鮒であり
枡一杯の水を求める事に専心すべきかも知れません。
しかし、江河の水を引く事を誰かが試みなければ、
今の日本の窮状を根本から解決する事は難しいのではないでしょうか?

迂遠なやり方ですが、
迂をもって直となすと兵法の言葉にもあります。

私は春望の詩は好きですが書写した事はありませんでした。
今日書写して初めて末尾の
スベテシンニタエザラントホッスのスベテの字が
渾(こん)である事に気付きました。

渾身の一撃の渾です。
体の力を全て使って一撃を加える
というニュアンスに初めて気づいたのでした。

結局私が少ししか知識を身に付けられないのは、
若かりし頃の教養が不十分だからであって
逆に教養を先に身に付ければ、いかなる分野の知識も
それなりに身に付ける事が出来るであろうと
考えています。

巨大な陰謀の存在を明らかにすることも
アメリカ歴代大統領もアメリカ建国植民地も
ヨーロッパ史、日本史の記事が全く進まないのも
当然のことなのでしょう。

迂遠ではありますが、
馬鹿な私の身の丈にあった記事を書くことから
始めなければなりますまい。
それしか道はないので仕方がない。

短歌 初冬の空

柿の木も銀杏の枝も際立てど
際もはかれぬ空の青さや

駄洒落だよ。

北方謙三「水滸伝」曙光の章 読了

100ページで挫折病は免れた。
ストーリーは面白いし、歴史物だ。
読めたのは歴史好きな自分には当然かも知れない。

だが、340ページを朝6時から読み初めて
昼前の11時半に読み終えたのは収穫だった。
毎時70ページ。遅いと思う。
だが、200ページあたりで疲れてきたのを
何とか休まないで読みきれた。

「一冊読みきる」ことが一番うれしい。

内容は、面白かった。
世の中の変革(大宋国自体の転覆を含めた) を志す
男達の物語だ。
その視点は北方さん独自の新しい視点だと感じた。

歴史的事実や従来の水滸伝では
梁山泊に集った108人の豪傑達は、
世直しは志しても、宋王朝自体を引っくり返そうとしたとは私には思えないが、
遠大な理想を胸に抱き、広いシナ大陸を躍動するドラマはとても魅力的だ。

キャラクターも皆、一人一人が際立っている。
史進や林沖、宋江、魯智新などもかっこいいが、
鮑旭や白勝、安道全など愛すべき好人物だと思った。
史進に縛られた陳達の叫びに、私は溜飲を下げた。

遠大な理想や志を
最初はわずか数人で立ち上げて
いかにして無から有を生じさせていけば良いのか?
この小説にはそのような事柄のヒントもあるかも知れない。

私にはタイムリーな作品である。



だるくなった時の症状

うつ病というより、
新型うつ病だと思われるが、
手足が鉛の重りを付けたように重くなる。

そうなると動くのも億劫になり
寝ても寝ても眠い。
芯から寝ていないので起きている時も頭が重い。
また、運動不足にもなるので体力は落ちる。

端から見たら怠け者にしか見えない。

うつ病はない。
とか
新型うつはただの甘え
とか
いう人の意見や本を見ると
絶望する。

やっぱり俺はただのダメ人間なんだと思ってしまう。

間違ってはいない。
だが、病気ではないとして。。。
どうやって立ち直ればよいか分からない。
山寺に強制的に修行に行かされれば直るのか?

山寺を逃げ出すか、山寺でも自分の空に籠るのではないか?
また、山寺では立ち直れても修行を終えた途端に元に戻る。
など、本質的に解決しないように思われる。

分からない。

ダメ人間による「立直り」への考察

現役のダメ人間にとって、
元ダメ人間の「立直り」成功談は薬にもなるが毒にもなると思う。

人間は比べたがる生き物だ。
私はかつて自信に満ち溢れる「ダメ人間」だった。
しかし、世の中に出て私の特技や長所はありふれたものであり、辛抱の無さにおいては、他人より絶望的に欠如していると思い知った。

今や失敗体験が束になって私に襲いかかる。
ダメ人間からの脱却なんて俺には無理だ。
部屋の柱に頭を何度もぶつければ死ねるだろうか?
睡眠薬をたくさん飲んで川にでも落ちようか。
重だるくなった体を横たえながら、
どうにもならぬ思案にくれる。

自殺にいたれないのは、勇気もないこともあるが、
仏教的死生観のお陰である。
自殺すれば終わりではない。
来世はもっと苦しいところからスタートする。
それが恐いし、万一死にきれない場合も
恐ろしい障害が残るかも知れない。

そんな打算的な自分であるから、
ダメ人間、クズっぷりは大したものである。
それでいて平凡でありふれたダメさ加減だ。

そんな私に親はよく、
元ダメ人間のサクセスストーリーを聞かせてくる。
奮起を促したり、希望を持てということなのだろうが
私にとっては絶望しか生まれないのが現状だ。

私はエジソンでもなければ、
アインシュタインでもない。
私は日高大輔というダメなおっさんである。
生い立ちも環境も全く違う。
性格も資質も全く違う。

それなのに、
あの人もこうだから、いつかはお前もああなれと
いうのは根本的に間違っていないだろうか?

しかしながら、
元ダメ人間の成功談に勇気をもらう場合もある。
それは、その人となにがしかの共鳴をした時である。
タイミングとか機が合うという瞬間だ。

そしてそういう事は実に稀なことだ。

我が家は比較的信仰心の厚い浄土真宗の家に生まれたので私は幸いだった。
何故か物心つく頃から阿弥陀様とお釈迦様は身近に生活の中にあった。

お陰で世間に迷惑をかけるような犯罪は犯していない。
そのご縁がなければ、もっとやけくそに生きているはずである。

さて、話を戻すが
現役のダメ人間としては
ダメ人間の心情に寄り添ってほしいと思う。
わがままではあるが、
上から目線でああしろこうしろ言うのは逆効果だ。

ダメ人間の心が意気盛んであれば反発心を抱く。
逆に心が傷つき疲れ果てている時は心を固く閉ざされる。
挫折をしたことのない人間、理想に燃えたことのない人間には
ダメ人間はきっと救えない。

ましてや無理解・無責任な世間の目、赤の他人の目は
ダメ人間を死や絶望に追いやる。
つまるところ新自由主義社会とはそんな無理解・無責任な社会ではないか?
新自由主義社会で勝ち抜いた挫折を知らない人間が
上から目線で世界を指導する。

そのような人々が、引きこもりやニートの問題を解決するなど
無理なように私には思われる。

漢文や和歌の美しき調べ

現代の感情は現代語で詠むべきだ。
古い文体に魅力を感じるのは私の物珍しさではないか?

俳句の師にいつだったか指摘された。
そうかも知れない。
復古趣味かも知れないと思った。

だが、正岡子規の俳句や短歌の近代化は
絶対的な善であったのか?
日本的なレトリックの良い面を失った面もあるのではないか?

修辞学は、中世においては1つの教養であった。
しかし、現代社会においては直せつ的な言葉のみ好まれる。
明治の人は漢学や古文の知識が血肉となっていた。
歌謡曲で言えば七五調である。

修辞学が見直される日がきっと来ると私は思う。
そうでないと、言葉が社会のクッション材にならず
逆に凶器になって人間を壊し、傷付けてしまうだろう。

恋歌一首 その二

(ボツ作品)陸奥の駒形様の神社破魔矢を遠く京へ放たん

(平成30年同日追記)
一首で用をなさない歌。
恋歌にもなってない。
矢に除災招福の意味を込めたが、
京の都に弓を放つのは変だ。

君が為信夫を超えて陸奥の地にて励まん武士の道

これならまだしも。

恋歌一首

下手くそな歌だ( ̄▽ ̄;)

空蝉に結ひし縁にありしかど忍ぶ恋路の月ぞ切なき

思いの叶わない恋は、月の光に任せよう。
月の光が愛しき人を優しく導きますように。
かえすがえすも下手くそな歌だ。

自民党に落語議連が出来るそうだ。

是非、落語を勉強して、御党の総裁に
めずらかな酢豆腐を一口なりとも食わしてやってほしい。

落語は素晴らしい。
基本ダメな人が主人公である。
だが、そのダメな人が犯す馬鹿馬鹿しい
失敗にゲラゲラ笑いながら
何度も聞いている内に

処世の知恵や
商売の基本、
人間関係の基本、
者の上手になるための心構え、
人間の悲しき性、
さらには、江戸っ子の粋な倫理観が
知らず知らずのうちに身に付く。

上方と江戸の違いもわかってくる。
商売に関わる落語は上方の方がしっくり来る。
火焔太鼓は鴻池の旦那に買われるより、
大名に買われる方が個人的に好きだ。

とにかく、悪知恵が働く人が出てくる。
猫の茶碗にはハタ師という骨董品の買い付け屋が出てくる。
田舎のお宝を鑑定するといって逸品を
「これは、マズイ代物ですなぁ。」と言って買い叩く。
猫の茶碗はそのハタ師が峠の茶店の主人にいっぱい食わされる噺だ。

長屋の花見も面白い。
貧乏を深刻にせずに笑い飛ばす。
「貧乏長屋の戸無し長屋ってここいらでは有名です」
「寒くったって燃すもんがねえんでみんなで戸板を壊して薪の代わりにしてます。」
呆れる大家に
「今はみんなで天井の方に取りかかってます。」
「晴れた日は星がキレイに見えらぁ。」
と長屋の住人はあっけらかんとしたものだ。

しかし、大家も負けてはいない。
長屋のみんなで花見に行こうと提案するが
ただの莚を緋もうせんに
ほうじ茶を灘の生一本に、
大根の漬物をかまぼこに、
沢庵漬けを卵焼きに見立てて飲もうという。

貧困に対する庶民のささやかな抵抗
しかし、ほうじ茶はどう想像して飲んでも
灘の生一本にはならない。
悲しみの中にしたたかな笑いがある。

与党の先生方には
ぜひとも庶民の悲哀と江戸っ子の粋を
学んでほしいものだ。

と引きこもりのニートがのたまっております。

読書嫌い

今でも読書は嫌いだ。

書くのが好き。
しゃべる方が好きだ。
無教養な人間かも知れない。

火山学者の先生は
良いアウトプットは、良いインプットが必要だと
仰っていた。
(火山や地震の話や研究の大切さと、
それに携わる人の少なさを先生は訴えておられた)

痛切な実感である。
アイディアはあっても具現化する
実務能力のなさを思い知る。
それは単に青春期の自業自得である。

例えば人間の知識は財として扱って良いものか?
一部の人間が優れたアイディアを独占するのは
自らの首を締める事になりはしないか?
それに対する反論として、
そのアイディアを産み出すまでの
労力への報酬をどう補償するのか?
今世界で熱く議論されている事の1つだ。

我々人類は何とか折り合いをつけなければならないが、
程よい妥協点を見出だす為には、
相当な知識と経験を必要とする。
私には手に追えない話である。

恐らく知識・経験共に優れた誰か一人が、
何か試みても解決には至らないだろう。
多くの人が信頼関係を築いて協力し合わなければ実現しないことである。
その信頼関係の核、協力関係の核にその人がならなければならない。
核になるべき人は人格が優れている必要がある。

今の私はどれも足らない。

宮城谷昌光さんの三国志読本によれば
三国の英雄は春秋左氏伝や史記などの歴史書を
必死になって読んでいたそうである。

私の多分に中二病的な志を少しでも実現するためには
嫌でも読書は避けられない。

特にも歴史書、文学書は読まないといけない。
読書嫌いの原因は言葉の意味が分からない事だった。
ゲームやパチンコの文章はサクサク読めるが、
ヴォルテールがどうとか、コアCPIがどうとか
減価償却がどうとか、チンプンカンプンである。

現役の学生には、五教科全部大切に学んでおいて
損はないと、失敗者として助言したい。
理系だから文系科目は、文系だから理系科目は
あまり重要でないと考えるのは早計だ。

私の場合は、
卵が先か、鶏が先かの話になってくる。
言葉を知るための勉強が先か
読書をして言葉を勉強するのが先かである。
だが結論は
「能書きを垂れている暇があったら
どちらかさっさとやれ」
ということになるのは薄々気づいている。

それにしても、
良き師につく事は重要である。
私は数々のご縁に恵まれたが、
みな良き師匠であった。
幸せ者である。
しかし、それを生かせていない。
いつの時も不肖の弟子である。

もし、師とのご縁を大切にしていれば
さらに良きご縁を頂くことが出来たに違いない。
荀子が良き師に出会うために努力しなさいと
説く心はこの辺りにあるのかも知れない。

私の知識は漫画や新聞、雑誌、テレビやインターネット動画や個人のブログで得たものがほとんどだ。
これらは、私にとっては良き師である。
だが、このご縁を更に生かさなければ
更に良き師には巡り合えない。

古今の名著は時空を超えて
目の前の課題を解決する為のヒントを
強い力で語りかけてくる。

読書が趣味と言えるようになりたい。

この文章は愚痴と弁解の塊だが、
自分の気持ちを整理するのには少しは役に立ったかも知れない。

どれ、おしゃべりを止めて
少しは何か読んでから寝ようか。

少女漫画「君に届け」の印象に残るシーン。

君に届けは片想いの恋をしていた時に感情移入して読んだ少女漫画だ。

設定は北海道の地方都市の高校の入学式に道に迷っていた一人の男子に主人公の女子が道を教えたことが出会いとなり、お互いに好意を持ちつつも、
主人公の女子がコミュ障でなかなか両思いにならない
もどかしい日々を描いた爽やかな作品である。

主人公の名は黒沼爽子という名だが、
リングの貞子に似ていると言われてクラスメイトからは
引かれている。
そんな中、入学式の日に爽子に一目惚れした風早翔太は、何とかアプローチを試みるが、
爽子にとっては風早の単なる親切心だと勘違いするところから、物語はキュンと切なくなる方向に進む。

一番好きなシーンは単行本二巻の中にあるが、
次に好きなシーンは単行本三巻のワンシーンだ。
運動音痴の爽子は体育祭の練習でミスばかり連発して
落ち込む、体育教師から個人練習用にサッカーボールを借りようとするが、とりつく島もなく断られとしまう。

爽子は日課の花壇の水やりをしながら、
サッカーの練習法を考えて、
石ころを蹴りだす。

その様子は委員会のミーティングに出席している
風早の教室からも見えた。
幼なじみでずっと風早に思いを寄せる
胡桃沢梅の呼び掛けにも上の空で
風早は、石ころを蹴り続ける女の子を微笑みながらみつもていた。

チャイムがなり、
爽子が我に変えるとサッカーボールが
足元に転がってくる。

風早は爽子にサッカーを教えようとしていた。
爽子は自分の思いをボールに込めて蹴る。

。。。そのときの二人を教室から見つめている
女子がいた。
くるみである。

このシーンの三者三様の思いが
とても切ない。
こんな構図の小説が書きたいと思ってしまう。

フェニキア人、エトルリア人、ギリシア人など

ゲルハルト・ヘルムのフェニキア人を読了した。

レバノンの歴史の奥深さを知った。
フェニキア人の人類史に及ぼした影響力の大きさに
驚かされる。

イスラエルやギリシアやエジプト、メソポタミア、
ローマとの関係史も興味深い。

フェニキアの諸都市はエジプト王国の庇護のもと
レバノン杉を輸出して発展した。
その後、エジプトが衰えると独立し、
ソロモン王の頃のイスラエルのビジネスパートナーとなった。
(この頃起こったフェニキアとイスラエルの決裂は現代に至るまでレバノンとイスラエルの深い対立の溝の淵源になっている)
また、アッシリアに攻め滅ぼされ、ペルシア戦争ではアケメネス朝ペルシアの水軍としてギリシアを攻めている。

レバノンの諸都市はふるわなくなるが
亡命フェニキア人の一派のカルタゴは繁栄し
ローマと覇を競った。

著者によるとストア派のゼノンや
キリスト教父のアウグスティヌスも
フェニキア人であるらしい。

国家は滅びてしまうが、
民族としてはその後も偉大な活躍をしたらしいことは
衰亡著しい日本国に生きる私にとっては
大きな希望と指針を与えてくれる。

改めて、古代史を調べたい気持ちになった。
歴史は古い方から順繰りに覚える方が効率が良いようただ。
ローマ史も面白そうである。

日本人には馴染みの薄い◯◯ニウスという
名前と悪戦苦闘するのも楽しい。

(平成30年11月16日追記)
エトルリア人について記事で触れていなかった。
塩野七生著「ローマ人の物語」によれば
ヨーロッパ大陸内陸部から南下してきた民族、
あるいは小アジアから渡来した民族の説あって
来歴は明らかではないそうだ。

しかし、鉄器製作技術などレベルの高い技術力をもち
人身御供や野獣対人間の競技などの習慣もあったというので、アジア的なルーツのような気がする。
だから私はエトルリア人は小アジア、リュディアから来たのだと思う。

エトルリア人は地中海にも進出した。
ティレニア海とは「エトルリア人の海」を意味するそうだ。
彼らは斜面が急な丘陵に要塞のような都市を建設するのを好んだ。
シエナ、ヴォルテッラ、ペルージア、キュージ、オルヴィエトなどの旧市街や
フィレンツェの町のフィエゾレの丘などがそれにあたる。

驚くべきは、エトルリア人がラテン人の都市ローマの王を三代も輩出した事だ。
すなわち
五代目 タルキニウス・プリスコ
六代目 セルヴィウス・トゥリウス
七代目 タルキニウス・スペルヴス
である。

彼らは、ラテン人にとってはよそ者でありながら
ローマ市民として信頼を集め、エトルリアの高い技術力をローマ人にもたらした。

日本も実は民族的に雑多な人々が
建国に携わったと私には思われる。
卑弥呼の時代などは様々なルーツを持つ人々の
合議政体があったのではなかろうか?
奈良県の纏向遺跡などはその証左のような気がする。

ローマはどうやって多様な民族を束ねたか?
それは法律であった。
我が国が移民を受け入れるのであれば
法律で日本人を定義する必要がある。
そこで初めて移民は地位を確立する。

また、急激な移民、難民の受け入れは
国家を崩壊させる。
だから、開発途上国の援助は大切だ。
そして、援助する邦人の生命財産を守ることも大切である。
赤十字的な立ち位置で援助するべきという意見もあるが、私は丸腰で邦人を送り出すのは限界があると思う。

自衛隊を日本国防衛軍に正式に格上げし、
サイバー、宇宙、核戦争に柔軟に対応できる機構にしてほしい。
予算をどのくらいつけるかはまた、別の問題として。

「良い嘘」は有り得ないけれど~正直主義雑感~

正直主義というのを考えてきましたが、
他者に対して、全て明け透けに言え言えと要求することではありません。

あくまでも自分自身の内外に嘘少ない方がよいと考えます。
真実は最終的に完全に強く、本当の安らぎへ導くからです。

しかし、心の傷の癒えない時は
真実も激痛に感じる時があります。
そのような事柄は無理せずに口を閉ざしても良いと思います。

正直主義は、
嘘をなるだけ少なくするということだと思います。
嘘が多いとそれだけ帳尻を合わすのが大変になる。

チベット死者の書によれば
如来の光は死者にはとてもまぶしく感じられるそうです。
真実とは時に受け入れがたく、痛みを伴うということなのでしょう。

奥宮麻母留の壬午日録2

四柱推命では天干が対外的性格、
地支が内面的性格を示す。

私の命式は天干は円満だが、
地支は矛盾、混沌に満ちている。
内面的バランスは悪く、精神を病みやすい。

だが、
水と火が共になければ煮炊きもできない。
金と木が共になければ道具も作れない。
問題は心の向きだろう。

他人の笑顔が私の内面の良薬である。
であれば、他人の笑顔の為に苦しみ悩めば
いつかは、自らの安らぎとして
返ってくる。

逆に、自我を押し通す道もあるが、
それは破滅の道につながる。

このブログの今後の芯の部分には
前者の精神を据えたい。
そこに保合大和、万国咸寧の道を何とか見いだしたいと思う。

奥宮麻母留の壬午日録

このブログを書いたときは、
如月海中金の劇薬憂国論というタイトルだった。

しかし、如月さんは多くのブロガーさんが既に使われていて、先輩である。
御迷惑にならないように改名した。

筆名の奥宮の姓は先祖が熊野の奥の院玉置神社にゆかりがあるのでそれにちなんだが、
昨日世界不思議発見で鹿島神宮の映像が流れた時
夢の中で鹿島の奥宮の参道を散策した記憶があり、
驚いた。

有名な神社でテレビの記憶が残っていたにしても、
長いこと夢に参道を歩き、
実際にはないかもしれないが、近くの大きな寺に参拝したり、近くの海を見たりした。
思い付きでつけた姓だが鹿島の奥宮を指すのかも知れない。

麻母留も万葉仮名にしたのは、奥宮衛というなの
軍人さんがいたからで芥川龍之介さんの息子さん
比呂志さんや也寸志さんにあやかってつけた。
鹿島神宮の奥宮には要石がある。
また、玉置神社には玉石社がある。

そのようなご神体に象徴されるように
日本の精神文化の守り人になりたいという抱負は
今も変わらない。

壬午日録は甲日干の私が
戊寅(0~4)
己卯(5~14)
庚辰(15~24)
辛巳(25~34)
壬午(35~44)
と大運が巡って
現在壬午の運が巡っているときなので
壬午大運の頃の日記という意味合いで名付けた。
45歳からは癸未になるので癸未日録に変えるかも知れないがあまり格好がよくないし、それまでこのブログが続くかもわからない。

天干には天上三奇の甲戊庚が並び
地支の申子、寅午は水火半会でありながら
年月支、日時支で激冲を生じている。
孟春の旺木の根を透干した年支が痛め付けている。
五行の数値的に換算すれば身弱であり、
命式の形を見ればやや身旺である。

私の命式は素人の私には訳がわからない。
混沌として、全てがたぎっている。

身弱か身旺かは奥深い命題なので仕方がないが
私が占いの勉強に挫折するのは
さっぱり自分の命がわからないからである。

このような横着が、
自身の成長の妨げになってきたのだと思う。
地道に多くの人の命を観て
地道に八字の本を読み
少しずつ理解を深めなければ
自分の命はわからず、処するべき道もわからないのである。

日本の国を守る。
ということにもこれは通じる。
日本の国は玄妙な歴史を持つ。
それを理解するには視野を広げないといけない。
政治・経済国際情勢ジャンルだが
最近は学術的なものに対する記事が多いのは
その為である。

政権は売国政策まっしぐらだし、
野党もスキャンダル追求ばかりである。
スキャンダルを追求することは大事だが、
果たしてその場が国会なのか?
(国民の知る権利を根拠にして専門の機構を設立する
そのような抜本改革を同時に提示しなければ、野党の点数稼ぎにしか見えず、実際次の選挙しか考えていない議員さんには点数稼ぎの場だろう)
また、れんほうをれんぽうと呼び間違えたとか、
1500億を1500円とか読み間違えたとか、
マスメディアはそればかりクローズアップするが
そんな話はどうだっていいことだ。

そればかり、何回も放送し、
野党の議員もへらへらと笑ったり皮肉を言っている。
「次元の低い質問には答えません。時間の無駄です。」
ぐらい言ったらどうなんだと思う。

安倍総理いわく
国難だそうである。
にしては緊張感のない国会ではないか。
むしろ、空虚な時間が費やされ、
モリカケの不正はうやむやにされ、
国家を左右する重要法案は、
議論が深まらないにも関わらず
数の力で採決される。
この状況こそ国難、亡国の兆しである。

打開策は歴史に求める以外にない。
また、諸々の学問をインプットせねば
より良いアイディアは生まれない。
また、生活を支える収入と健康な体がなければ
絵に描いた餅で終わってしまう。

癸未の運(5~6年後)がめぐってくるまでは
生活も安定しないし、結婚も考えられない。
後半生に向けて下準備の期間なのだろうと思う。

抜本的対策こそ考えねばならない。
私生活の観点から見た私の現在の日本に対する見解である。

信が中心になる。

陰陽五行説では、
木火土金水の五行に様々なものが割り当てられている。

木は東方で青色
火は南方で赤色
土は中央で黄色
金は西方で白色
水は北方で黒色

聖徳太子の冠位十二階は、
これの上に紫を加えて六色で冠を色分けしている。

この、方位と色の対応はシナ大陸の各地の土質に対応しているそうだ。
なるほど山東省の辺りを青州と呼んだのも合点がいく。

岩手県北上地方の鬼剣舞の面の色なども
この五行に則っている。

徳目においては

木は仁
火は礼
土は信
金は義
水は智

が割り当てられる。
前稿でビリヤード的発想と書いたが、
それを支えるのは信である。
方位で中央に位置するのは偶然だろうか?

複雑なシステムを構築しようとすれば
人々の相互の信頼関係が不可欠になる。
複雑であればあるほどそうである。
信の人が中心となって
仁の人、義の人、礼の人、智の人を取り持つ。

信の人は土の人、大地の人である。
全てを支え、万物を化育する人である。

そのような人に私はなりたい。
なれるものならなりたいものだ。


ビリヤードの達人のように物事を考えたい。

政治は妥協の芸術という。

主義主張の相容れない人々がいるなかで
何とか落としどころを見つける必要がある。
しかし、昨今は力技、近視眼的主張の人が多い。

わかりやすい主張が好まれる。

だが、妥協による最適解は
いついかなりときにでも存在すると信じたい。

それには、正しい情勢分析が大前提になる。
次に、とことん当事者の声に耳を傾ける。
さらに、辛抱強く考え抜き、辛抱強くやり抜くことが
必要だ。

ビリヤードや詰め将棋のような発想。
急がば廻れ
囲魏救趙の計のような発想が必要であり、
より複雑玄妙であることが理想である。

逆にそれぞれの行動は簡易であることが望ましい。

彼を知り己を知らば百戦危うからず。

人の笑顔を見るのは、心が安らぐ

ありがたいことに、幼少期の私はみんなの笑顔に囲まれて育った。
甘やかされて育ったといえば、そうに違いない。

しかし、幼少期の環境はその人の
精神的なふるさとだと思う。
不機嫌な顔の人を見るとビクビクする人間になった。
別に周りの人は私の事など気にも止めていない。

しかし、常に人から笑顔で接してもらってきた私にとって(それはそれだけ私がわがままで周囲に気を使わせて
きたということである)私に向かって来なくてもマイナスのオーラが怖いのだ。

人は多少はそのような傾向はあると思うが、
私は過敏である。
人中に出ると疲れやすい。
お化けは見えないが霊感が強いタイプなのだそうだ。

つくづく弱虫なのだと思って自分を責めてきたが、
発見した。
私の周りの人々が笑顔になってくれれば
ストレスなく生きていかれるのである。

子供時代のように周りに気を遣わせるのではなく、
大人になった私は周りを気遣って笑顔にさせていけばよいのだ。

そしてそれは、働く事、仕事することの原点だ。
傍を楽にするから「はたらく」
多分語源的には語呂なのだと思うが、
仏教にも「抜苦与楽」という言葉がある。

荀子の修身篇にも立派な人格の人間は
地の果て、他の民族の中にあっても
重んじられないことはないだろうと書いている。

してみれば、幼少期の私は
両親や父方母方の祖父母親戚の人々から
大きな財産をいただいた事になる。
他人の笑顔を自らの安らぎに変えられるなら、
飯の種はつきないのだから。

日ユ同祖論

初めは、受け売りでしたが、
古代の日本とオリエントの事を調べると
不思議と共通点があり、
私の中で共鳴します。

ユダヤ教は今日の信仰形態になるまでは
カナン人(レバノン地域に住む人びと)と
同根の信仰をしていたようです。
旧約聖書的な信仰以前の原始ユダヤ教というべきもの
それらはユダヤ人の中では失われてしまいます。

しかし、旧約聖書確立以前に分化した民族がいた。
それが、日本人だと私は感じました。
バール神への信仰はユダヤ人からは
忌み嫌われますが、
ユダヤ教は原始ユダヤ教の先鋭化、原理主義化とも
いえると思います。
だからこそ、ユダヤ教は今日も生きた宗教として
光を失わないのでしょうが、
宗教としては狭量になり、他民族から支持を失いました。

バール信仰は実はオリエントでは
一般的な進行形態だったらしく
類似の神様はバビロニアでも信仰されていたようです。
山岳神であったらしいのですが、
私は三輪山を連想しました。

やはり日本人は、ユダヤ的な習俗をもち
しかし、旧約聖書的信仰が確立する前に
移住した失われた十支族なのだと思います。

旧約聖書は歴史書でもありますが、
ヤハウェ信仰の確立は、
ソロモン王以後かも知れません。

安田順平さん解放、自己責任論を考える

この方は死を覚悟して取材に赴いていると思います。

では、拘束中に死を選べば良い。
と考える人がいるかも知れませんが
安田さんは苛酷な環境でも、
何とか解放の日まで耐え忍べたのは、
「必ず生きて帰らなければならない」という
一念からだと思います。

それは、家族とか自分の為よりも、
シリアで自ら見てきた生の情報を
広く多くの人に伝えなければならない
というジャーナリストとしての使命感が
安田さんを強くしたのだと思います。

ジャーナリストは記事に仕上げるまでが仕事です。
生きて日本に帰らなければ
仕事は完成しません。

日本の大手メディアは
危険地帯に自社の特派員は派遣せず
フリーランスの記者に委託して報道しています。

安田さんのような存在は非常に
日本にとって大事な存在です。

その安田さんの思想信条が気にくわないからといって
情緒的に自己責任論を振りかざし
非難するのは私はおかしいと思います。

安田さんの見解に対して
非難したり、反論したり、評価したりするのは
安田さんが取材したものを記事にしてからでも遅くはない。

そこで初めて建設的議論も成り立つと思います。

自己責任という言葉はことさら権力者が口にするときには責任逃れしてるように感じるのは言い過ぎでしょうか?
確かに人はそれぞれ自業自得ではありますが、
自業自得で苦しむ人を嘲笑うか、
自業自得で苦しむ人に思いを寄せるか
例えばそんな事で人間の品格は推し量られるものでございます。