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晩学綱紀 ver1.0

晩学綱紀

前文


詩編
上厚下薄の世を憂うるも、非力非才の身を慚じる。
単に今日に至る懈怠の報い、不徳不仁の身を愧じる。
貴種の裔にも非ず、一介の卑夫に過ぎざるも
晩年にして学を志す。

身を修め学を修めずんば、誰か言を信じ心を動かさん。
故に日録は向後我が為にのみ記す。
以下の条条を晩学綱紀と号く。
条文を国法に擬するは、平素より法文に親しまんが為なり。

病状は軽躁四日、抑鬱四日を反復す。
己が心を調えて、喜怒哀楽の過ぎたるを鎮め
心身を鍛練して、我初めて小人たり。
嗚呼大人の道の何ぞ難きや。

遼遠なり君子の道。
玄妙なり菩薩の行。
願わくは愚公山を移せるを範と為し、
槃特尊者の大悟のひそみに習わん。





関口不動尊に奉納する起請文
私は北伝仏教の信者である。
故に釈尊の説かれたところの教えを思惟の基となす。
原始仏典は釈尊の死後まもなく編まれ、
大乗仏典は菩薩行を説く大衆部の所依の経典である。
当然偽経(釈尊の精神に相容れない教え)も多く、
そこで、経典には釈尊の精神に則っている印のあることが求められた。

即ち三法印である。
諸行無常、諸法無我、涅槃寂静
の3つである。

生前の釈尊は
四聖諦(苦集滅道)を説き明かし
八正道の実践を説いた。
八正道とは
正見・・・正しく物事を見る
正思惟・・・正しい決意をする
正語・・・正しい言葉を語る
正業・・・正しい行いをする
正命・・・正しい生活をする
正精進・・・正しい努力をする
正念・・・正しく物事を考える
正定・・・正しい瞑想をする
という8つの実践である。

これらを完全に実践することにより、
人間は一切の苦しみから逃れ、
覚りの彼岸に度る事が出来るのだ。

しかしながら、これらの完全なる実践は私にとって甚だ難しい事である。そこで諸仏は私を憐れんで種種の方便を用いて導く。種種の方便は縁起によって己の中で一体となり1つの真実となる。そしてそれこそが私に一切の苦しみと迷蒙からの度脱と多くの福徳と大いなる安楽の境地をもたらす。

私はこのように聞いている。天台の教えにおいて如来の出世の本懐はひとえに法華経を説かんが為なりと。
またこのようにも聞いている。浄土の教えに教えにおいて如来の出世の本懐はひとえに阿弥陀如来の仏国土を一切衆生に広めんが為なりと。

如来唯一の出世の本懐に両義ありや否や
私は長らくこの問いに苦しむ。
だがしかし、これは私にとっては愚問であった。
毒矢を刺されて死にかかっている時にあれこれと問うて
助からず死んでしまったクシャトリアのようなものである。

何となれば救われるべき我が身はただ一人であった。

私は迷いの川に落ち込んで溺れていた。
釈迦如来が岸よりどんなことがあっても切れることのない法華経という名の命綱を投げてくれた。しかし、私は溺れていてその綱を身体に結ぶ事が出来ないでいた。

そこに阿弥陀如来が船に乗って通りかかり、自ら水に飛び込んで法華経の綱を身体に結びつけ、
「大丈夫だ。もう心配するな。私が岸まで必ず送り届けよう」と仰ってくれる。
釈迦如来も「御助勢有り難い。もう大丈夫だ。さあこちらからも綱を引っ張ってやろう」
と仰って、更に諸仏諸菩薩の加勢も呼ばれ力強く引っ張られて、私は九死に一生を得たのである。

故に私は法華経を「経王」とあおぎ尊んで、
己の至らざる時は南無阿弥陀仏と阿弥陀如来の浄土に帰ることを願うのである。

私はこのようにして安心を得たが、無常の世に有縁の人の悩み苦しむ姿を見て大変心苦しく悲しく思う。
しかしながら私自身が釈迦如来と阿弥陀如来の支えが無ければ一歩もまともに歩けない病の身である。

地球という1つの星で高度な文明を営みながら、人々は苦しみの中を生きている。互いに支え合う人もいるが、そうでない人も沢山いる。私は戦争とそれによって引き起こされる災厄を悲しむ。また争いを起こす強欲と傲慢を憎む。そして救われた身であるにも関わらず恩を忘れて迷い悩む我が身を慚じる。支え合うべき務めがあるにも関わらず精進を怠る我が身を愧じる。
魔に騙され、唆されて偽善・独善の行いを繰り返す我が身の愚かさを厭う。

故に私は今生の内に阿弥陀如来の極楽浄土への往相還相の廻向を受けた果報に感謝して菩提心を発さんと欲する。私に菩提心の種子があったのではない。無根の心である。阿弥陀如来の四十八の本願がなければどうして自力で菩薩の発願をし菩薩行の実践を行うことが出来ようか。

私は劣悪懈怠の凡夫であるが、如来より賜りたる菩提心を基として晩学を志すものである。



大日経にいわく、
菩提心を因とし、
大悲を根とし、
方便を究竟す、と。

私も諸仏諸菩薩の大威神力の助けを借りて
阿弥陀如来と釈迦如来により賜りたる菩提心を因となし、直心により色界の有り様を観察して大悲の根を養い、懈怠を戒め、不退転の覚悟をもって方便の実践を究竟せんと欲す。

私の願いは唯1つである。
一切の衆生が平等にして最上の悟りを得て安楽の境地に達することである。
しかし、私は阿弥陀如来の四十八願により菩提心を賜りたる菩薩である。故にその実践は阿弥陀如来の四十八願に基づいた実践でなければならない。

阿弥陀如来の四十八願は一切の衆生を救わんが為に建てられているが、但し書きがある。
阿弥陀如来の浄土に生まれることを願わない人は無理矢理極楽に往生させようとはしないということである。
極楽浄土はあくまで悟りを得るための修行の道場である。

従って自ら阿弥陀如来の願とは別の尊い願を打ち立て、
別なる修行法で無上等正覚を得んと志す菩薩及び
仏の教えを信じない者は除かれるのである。
私は異教徒の正しい道を歩む人は菩薩であると信じる。

キリスト教徒は聖書の道を進み、
イスラム教徒はクルアーンの道を進み、
安寧の境地に達し、永遠の天国に生まれることが出来る筈だからである。

それであるなら、彼らに阿弥陀如来の救済を無理強いすることは、阿弥陀如来の本願に反する行いであり、
私は己の信念に基づき尊い行いをされている全ての道の人に敬意を表したい。

また、無神論者も救済を無理強いするものではない。
仏教によって説かれるところの縁起によってその人は無神論者になったのであるから、私はその人の考えを尊重するだけである。

しかし、四十八願のただし書きに書かれた人びとが困っていたならば必ず助けの手を差しのべる力のある人間になりたい。また、あくまでそれは私自身の修行の一貫なので見返りに阿弥陀如来への信心を強制することはない。むしろそのような気苦労をさせるのは菩薩としては失格である。

さて、阿弥陀如来の四十八願により救済を除外された人々はまだいる。五逆の罪をおかした者と、
仏法を誹謗した者である。

一切の衆生は悉く仏性を持つが、この人達には仏性はない。涅槃経に説くところのイッセンダイである。
イッセンダイを菩薩が救済しようとしても絶対にイッセンダイは助からない。何故ならばイッセンダイは善根が全く焼け焦げたいのちであるからである。
また、イッセンダイは果肉を食べ尽くしたマンゴーにたとえる事も出来る。マンゴーには種子しかない。無理矢理かじっても不味い。地面に放って置くのが一番である。

と、いうのもイッセンダイにも仏の救いに預かる道がちゃんとあるからである。イッセンダイが自らの犯した罪の重さに恐れ戦き、心より慚愧する機が訪れれば、
その瞬間からそのいのちはイッセンダイではなくなるのである。

あたかも、数年前に放っておいたマンゴーの種子から新しいマンゴーの木が育ち実をつけるように、イッセンダイは新たなマンゴーの木として生まれ変わるのだ。

まとめると、
阿弥陀如来の四十八願とそれによって建立された極楽浄土はそこに生まれることを願う人を一切拒まない。
阿弥陀如来の本願は一切の衆生に対する救済の願であるが、衆生の意志を最大限尊重する。
また菩薩の意志も同様である。異教徒の人々にも、無神論者にも、縁起により関わり、人知れず助けているが、阿弥陀如来は一切誇らない。(実はこれは他の諸仏諸菩薩も同様である。)

私はこれらのことを深く心に刻み、慎重に行動したい。いのちの機根を考えずに独善的に衆生に道理を説く事は実に道理のない事である。また仏でなければ衆生の微妙な機根の際を見極められない。私はこれを心に刻み何人の内心の自由も犯さないことを誓う。

さて、阿弥陀如来の本願により浄土に生まれることの出来た他力の菩薩には大きな功徳がある。

①他の仏国土への自由な往来や一時留学
②同時に様々な諸仏への供養讃タンが可能である。

私は上記の大功徳を以下のように解釈する。

①は古今東西の賢者や哲人、聖人の言葉や
我が国仏教の八宗の教え、キリスト教、イスラム教、ヒンドゥー教、儒教、道教、などの現在の世界宗教。
シュメール人の宗教やゾロアスター教、マニ教、景教などの古い宗教の自らの血肉にすべき素晴らしい点を従順に学び、相容れない点は敬意をもって遠ざけること。

②は智慧が深くなるに従い、様々な教えに通暁し、
誤解、偏見を乗り越え、様々な正しき道を歩む人に敬意を表することが出来、支え合うことが出来るようになること。

であると考える。
このような考えの元に私は混迷する世界において以下の提言をしたいと考えている。

①地球には1つの公共共同体が必要である。
②その共同体は決して現有のあらゆる共同体の存立を脅かすものであってはならない。
③紛争は地球唯一の公共共同体が責任をもって処理し、
共同体同士の争いは私刑として許さない。
④異文化、宗教間の関係は倫理と規範の両輪により、寛容であることを担保する。
⑤全ての共同体は1つの共同体の秩序の元、各々役割や個性に合わせて応分の権利と義務を担う。

この提言は凡夫のかりそめの案である。

私は今生の役目を全うすべく上記の愚案について念入りに調べ、検証し、善財童子の如くに諸々の世界の賢人、聖者に教えを乞い、至らざるところは矯めて已まず、
過ちを改むるに憚る事なく、その時どきの己の分限に応じて働く事をここに誓う。



私は少しく兵法を学ぶ。日本国の存続の為に軍事的にいかに防衛すべきか、机上の空論を弄ぶ。その危うきことは甚だしい。
そして学ぶにつれて最強の国家とは為政者と国民の強い信頼関係を築く事であると思い至った。

即ち為政者は忠恕の心を持ち、仁義礼智信の5つの徳目を修め、国民には謙譲の心をもって接し、法令は決め細やかに配慮され、整えられていて厳正に運用され、国民一人ひとりの権利と義務の釣り合いを取ることで平等性が保たれた国家である。

また、男女平等にかんしても同権平等は性差を考慮して両性に対して決め細やかな配慮をするべきである。
男女共に平等に取り扱うべき事柄と、男性・女性の性差によって配慮されるべき事柄があると考える。
両性が譲り合わなければお互いを傷つけ合うことになるし、男性原理と女性原理(陰と陽)が交わることによって森羅万象が成り立っているのだから、自然の法則に学ぶべきであると私は思う。

このように国家と国民が相和し、災害や困難に十分な備えをしていれば他国を侵略する必要は無くなる。
そしてどんなに狂暴な国が強兵で一人残らず虐殺しようとしても果たせず、返って他国より非難され、遺民からは末代までも恨まれ、天からは呪われる。そして遠からぬ未来に自らの国が滅ぶ。

しかし、私は日本国を愛するが故に平和を希求しながらも、自衛の軍隊を持つべきであると考える。
現行憲法では自衛隊は紛争地において「やるべき事以外は出来ない」というポジティブリストに基づいて行動している。イラクへのサマーワへの派遣もソマリア沖の海賊警備による派遣時も政治家達はポジティブリストを増やすことで対応した。戦闘は命のやり取りであり、一瞬の内に行動を判断しなければならない。ポジティブリストは現場の自衛隊員および指揮官への精神的な負担を大きくするものである。
そのために自衛隊を正式な軍隊と認め、紛争地において「絶対にやってはいけない事以外なら何をやっても良い」というネガティブリストに基づいて行動できるように改めるべきである。

また、アメリカ合衆国は重要な同盟国ではあるが、
建国以来、常に正義を貫いてきた国家だとは言えない。
かの国と友好を結ぶのは良いが国防・安全保障において
全て依存するのはあまりにも危うい。
国民には自主防衛の気概が求められる。
有道の国となり自主防衛の気概のある国家は無敵である。

そして悪政を行う国々とは交わりを絶ち、善政を行う国とは大いに交易を行い、かつまた互いの国の国力を奪わないなように相互に譲り合えば善き国との同盟は強固になり悪政を行う国々は孤立をし干戈を交えることなく屈するだろう。

このようにして、同盟を増やし同盟国の中で最も有徳の国が連邦の長となれば、天下は泰平となる。
日本国はその有徳の国になるべきである。
また、日本国は有徳の連邦の長となることも可能であると私は信じるが、それよりふさわしい国があるのならば必ずしも日本が長になる必要はない。
地球唯一の公共なる共同体の形勢にいち早く参画する事が日本国の平和と繁栄、すなわち「すめろぎのいやさか」に繋がると私は信ずる。


しかしながら、私は劣悪懈怠の卑夫として生きること四十歳。体力に優れるわけでもなければ、知力に優れているわけでもない。秀でた技芸もなければ、不徳不仁の器の小さな人間である。
脳には病癖があり、様々な誘惑にも弱い。
天下国家を論じる前に我が身を修めるべき人間である。

そこで以下の項目を学究する事を一生涯をかけて果たすべき目標としたい。

①応用情報技術者とその上位資格を取ること。
コンピュータや人工知能などに関する実務的な知識と技術を習得する事が目標で「コンピュータの五大機能、制御・演算・記憶・入力・出力」等の基礎的な技術に通暁することが早道と考える。

②D.B.Aを取ること
アメリカの経営学修士の上位資格である。MBAは国際ビジネスマンには必須の知識であると言われているがD.B.A取得を目指す人が世界的に増えているらしい。
アメリカンスタンダードが世界のデファクトスタンダードになっている以上、その流儀を学ばなければ彼らのビジネスの問題点も、日本の流儀の提案も満足には出来ない。

私は、なにがしかの事業で億万長者になり、両親の
仕事を継ぐのが夢である。両親は地元の山田町の文化の担い手である人々の人生や作品を文字化して本にする事が一番大好きな仕事であった。市井の人のどんなに小さな記録でも本にして国会図書館に寄贈すればその人の生きた証は永遠に残る。

しかし、印刷業は特殊印刷に特化するか、設備投資をして低コスト短納期化を図るしか生き残る道はない。
よって、他の業種で起業しなければ私の望みは達せられない。今は資本金1円で簡単に起業が出来るが、ベンチャービジネスや中小規模の企業が事業を継続するは大変に困難な時代である。

だからこそ、アメリカ式の経営学を学んでおかなければ、永続的な商売は出来ないと考える。


③英検1級、工業英検1級等、フランス語、スペイン語、ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、オランダ語、ヒンディー語、ロシア語、北京語、広東語、アラビア語の語学資格を全て取ること。
これもまた、グローバル社会で生き残るには必須なスキルである。特に話すだけでなくその国の文化様式を理解する事が大切だと思う。
迂遠ではあるがラテン語とギリシア語から学ぶとヨーロッパ系の言語の母語なので効率は良いかも知れない。
また、簡体字、漢文を読めることは五術の学習にも役立つはずだ。漢文に親しんでから以前より八字の簡体字記述が理解できるようになった。


④司法予備試験に合格し弁護士資格を取ること。
近年宅建士の試験を1度だけ受けたことがある。
そこで知ったことは民法の重要性であった。
仕事をしていて良いアイディアが浮かんでも、法律的にダメな時がある。そのような無駄な手戻りがないように弁護士なみの知識を身に付けるべきだと考えていたが、
司法予備試験に関しては年齢制限が無いらしい。
弁護士として活動することは無理かも知れないが、
どんな仕事でも関連法規に則らねばならないし、遺産相続やら不慮の事故やら日常生活の中で法律家のお世話にならなければならない時がある。
起業するのが夢であれば尚更であると考える。


⑤簿記、工業簿記1級を取ること。
帳簿に明るくないと会社の金を持ち逃げされてもわからない。
また、取引先の経営内容や利害関係者への適切な情報開示も出来ないし、経営の効率化も計れない。

⑥何とか大学に入り直し、文系、理系の博士号を取ること
これは、これから就職する業種に関する学部に入りたい。あるいは起業する際に学び直したい。

⑦芥川賞と直木賞を両方取ること。
芥川賞は純文学で新進無名の作家、直木賞は通俗小説で
実績のある作家がとるものである。二兎を追うもの一兎も得ずというが私は人の心を動かす修辞の勉強として小説という長い文学作品に挑戦したい。辛抱忍耐と体力勝負である。また、古典として読まれる人間の普遍性に迫る作品を書き、未来の読者との邂逅することに大きなロマンを感じるからである。

⑧数学と物理学を極めて核廃絶と温暖化防止に資する発明をし、ノーベル賞を取ること。
これは、このブログで日本核武装論を主張してきた私は、人生の中で積極的にこの問題に取り組みたいと思う。戦争犯罪史上最大にして最悪の行為が広島・長崎への原爆投下である。アメリカ合衆国は未だにその犯罪を悪びれずに正当化し、日本国民は戦争を引き起こした自分達が100%悪いと信じて疑わない。
これでは自国の国際的孤立を厭わずに自国の存立をかけて核開発を行った、または行いつつある国々の人々の心情を理解することは出来ないだろう。

アメリカは核の力を見せつけて、第二次世界大戦後の絶対的覇権国になろうとしていたが、マンハッタン計画にはソヴィエトのスパイが多数紛れ込んでいてソ連は原爆をわずか数年で開発させた。その後核保有国同士の相互確証破壊という危ういバランスで大国同士の平和は保たれるが、それは極めて偽善的な平和に過ぎず開発途上国やイスラム世界での代理戦争という矛盾が起きている。

私は軍事的にも詳しく核兵器時代の戦略を学びたいし、
核廃絶の為の具体的な施策についても学びを深めたい。
そして福島県が放射能被害克服の成功事例になるように物理や数学を学び直したい。

直接物理や数学を学び直せなくても、私は放射能との戦いに加わることをここに誓う。
温暖化と砂漠化についても同様である。

⑨千年万年経っても朽ちない言の葉を残すこと。
釈尊の言葉、イエスの言葉、ソクラテス、孔子の言葉。
聖人の言葉には叶うべくもないが、崔子玉の座右銘を読んだときに1800年前の人の言葉にこんなに心を震わせられることがあるのだと思った。
100年1000年という長い時を経て書き手と読み手が邂逅するということの不思議さにロマンを感じる。
私も俳句や短歌を嗜んでいるので志高く「この一句」を詠めるように精進したい。

⑩黒森神楽の演目で榊葉が踊れるようになること。
所作舞、武士舞という基本的な舞があるが私はそれすら満足に踊れなかった。擦り鉦すら棒打ちで神楽の拍子に合わせられない。
原因は筋力と柔軟性の無さと、重すぎる体重である。
また、動作IQの低さも大きなハンディである。
しかし、興味をもって運動を続けられそうなのは伝統芸能である。体力強化と老化防止の為に伝統芸能を学びたい。

⑪命・卜・相・山・医の五術を極めたい。
私は陰陽五行説は現代物理学に一脈通じていると感じる。また、仏教では釈尊は宇宙の有り様や死後の世界について説かれなかったし、般若心経では色即是空と説いている。
つまり、仏教や道教の教理の方が融通無碍で科学との親和性が高いと考える。
方便の実践のために私はこれらも学びたい。



これらの目標は1つひとつが達成する事は至難の技であるが、以下の幾つかの目論見がある。

①謙虚さと向上心を死ぬまで失わないため
②縁のある事柄を選り好みせずとことんチャレンジするため。
③挫折失敗があっても瞬時に気持ちを切り替えるため
④愛する人や愛する物事を心の拠り所にする(愛する人に過度に依存しない)ことなく大目標に向かって突き進む心のみを拠り所とするため
⑤いつの時代、何処の土地にあっても物事に通暁した人、かつまたそれが複数ある人は重宝がられる為

これらの5つの目論見がある。

そして、私は現在無職であるが、就職したら上記の目標より何をおいてもその担当業務の習熟にのみ精進することをここに誓う。

大目標の糸口は今この瞬間の実践にしかないからである。そしてその時々の分限に応じて目標達成の為に一歩一歩励んでいくことをここに誓う。

一身独立してはじめて人を支える事が出来る。
一身独立してはじめて人の心を動かす事が出来る。
人の心を良き方に動かしてはじめて有徳の国が実現し、
有徳の国が実現してはじめて一国の平和と繁栄が保たれ、その有徳の国が乾乾して諸国に働きかけることで
万国咸寧の世が到来する。

願わくは、
この世界が阿弥陀如来の仏国土の如く全ての人に安楽な世界とならんことを。
我もまた、その国土の一片の煉瓦とならん。


皇紀二千六百八十年 令和二年 一月二十日 大寒

奥宮麻母留 こと 日高大輔

山田の関口に坐す不動明王への起請文として記し
翌々日の甲子の天赦日にブログにアップする


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癸メモ集

癸メモ(今後は上段に書き足す。)

(令和2年2月22日 庚子年 戊寅月 乙未日)
カラー指定は今後は色名指定を使う。スマホ入力でページの統一感を出すにはこちらが良いようだ。
眺めて覚える際は視認性よくぎゅっと一覧に。
一覧に書くものは関連性のあるものを。
苦痛でも本流へ王道へ上流へ。(インターチェンジ効果が得られる。)


(令和2年2月20日 庚子年 戊寅月 癸巳日)
明日で満40歳になる。
30歳を前にしてうつ病になってからあっという間だった。今日が昨日でも、昨日が今日でも変わらぬ日々を送っていると月日の経つのは早い。残酷に過ぎていく。

ブログを書き出して4、5年になるが、削除しないで書き続ける方針を昨年の9月くらいまで貫いたが、改めて当時の草稿を読み直すとあまりにも稚拙で、かつまた進歩がない。とても再公開するのは恥ずかしい。しかし、どんなに危険で恐れ知らずな事を書いていたのか経緯経過を記す事は人を評したり、意見を表明したり、批判したりする私には必要であり、説得力が違ってくるとも考えている。

なるべく早く公開し直したい。不適切な部分は表示に留意したり、文章はそのままにして記事を移転したい。

私は政治・経済にそれほど関心はなかった。
シミュレーションゲームがあれば延々とやっている人間だった。

両親は商業印刷の方が利幅が大きいが、市井に暮らす歌人や俳人の方々の作品人生の集大成である歌集、句集の編集印刷に携わる自費出版印刷の方にやり甲斐を感じていた。

被災した時に私は、DTPのスキルも印刷に関するスキルも全く無かった。何故か自宅サーバにより「文化の木.com」というショボいサイトを作った。
業態転換と言えば聞こえは良いが、「惣領の甚六の道楽」に過ぎない。世の中ペーパーレス化が進んでいる。
電子媒体を扱う業態に変えたかった。

商圏は沿岸と内陸が隔絶している。
しかし、実績を作り釜石、大船渡、陸前高田と南下して取引先を広げ、仙台に営業拠点を設け、そこから岩手県内陸はおろか東北全域、全国に取引先を持つIT系企業の
設立を夢想していた。

しかし、時代の流れは早く、私の歩みは遅々としていた。一口にWebコンテンツ製作と言っても分業化が高度に発展している。PCに強い興味が有るわけでもない。
ツィッターやインスタグラム、LINEもわからない。

本当にやりたいことは「真の意味での地方創生」だと
震災後に気付かされた。
轍の鮒の故郷に、気宇壮大に呉越の江水の水を引っ張ってくるからと嘯くより、実際にに枡一杯の水を汲んできてあげた方が尊いのではないかと思う葛藤がある。そのような人がいなければ誰も問題にすら気づかないのだから、そのような人々に私は憧れを抱く。

だが、世界的に人類は危機の時代を迎えている。
科学技術の急激な発展に制度や価値観の変化が追い付いて行かない状態だ。乱世の入口にあるような気さえする。

私の中では「故郷の新生」と「世界の新秩序樹立」は
=になった。しかしそれは細胞膜のような通してはいけないものは通さず、通すべきものをのみ通すインターフェイスが必要だと考えている。従って新自由主義的な非常にシンプル過ぎるグローバリズムとも壁を隔てて分断し陣取りゲームを繰り広げるナショナリズムとも一線を画したものにしたい。

大和帝国構想というのはナショナリズムよりであり、
外向的な危うい思索だと痛感する。
権力と戦争は生半可な知識教養では論ずる事は出来ないと痛感する。

人として国家として「お人好し」なだけでもいけないが、不誠実であってはならない。
極論では物事は何も進まない。
道理に基づき落とし所を見出だす事が必要である。

しかしながら、ヨーロッパ、アメリカ、ロシア、アジア、アフリカ、インド、日本の文化慣習は著しく異なり「道理」さえも価値観が異なれば通じない。
だからこそ私たちはお互いをよく知ろうとしなければならないと思う。

良識ある人が「奴らは狼だ。一匹残らず虐殺しなければならない」というくらい憎悪の連鎖が積み重なってしまったら、後はどちらかが完全に滅ぶまで絶望的な争いを繰り返す事になってしまう。


(令和2年2月19日 庚子年 戊寅月 壬辰日)
◎紀元節(2月11日)に不思議な夢を見る。
日記に記録し、関連して易を立てる。
観の初六 童観。小人には咎なし。君子には吝。
私の見解は君子(人格が立派で人の上に立つべき人)、小人(一人前の大人で立派な職業人)に程遠い。童蒙である。

之卦の益は広く世の中に恩沢を施すように、
己を後にして人を先にしなさいという卦意。
それも一過性のものではなく、何か世の中に有益な仕組みを作るように心がけなさいとの意ととらえる。
蒙を啓き小人、君子と成長していくためにはこの心がけが大事なようだ。

体調を日記でつけたが、今年の紀元節は庚子年、戊寅月、甲申日にあたる。いわゆる天上三奇の吉日で、
その日の明け方に不思議な夢を見るのは有り難い。

また、自分の誕生日が二度目の三奇の日にあたる。
部屋を整理したら、小銭が沢山出てきたので、
今まで何とか警察のお世話にならずに生きてきた事に感謝して今後は世間様に迷惑をかけない全うな人間になるように祈願すべく、どこかの神社に参拝しようと考えている。


◎桜を見る会。森友学園、加計学園。みんな類時点がある。度を越した身びいきと、脇の甘さ(初動の油断)、諫言に耳を貸さない狭量さである。また、疑惑を素直に認めて適切に身を処せば、むしろ深みのある政治家になれたかも知れない。ところが現実は逆で「詰み」になってしまった将棋、「チェックメイト」になったチェスの敗北を認めずに盤面をひっくり返したり、ぐちゃぐちゃにするような、おおよそ一国の宰相としてはあるまじき、非常に子供じみた対応に終始している。

子供の遊びなら将棋盤に傷がつく程度だが、
民主主義や国家の法律、官僚のモラルを破壊しているのだから、悲しいかな捨てては置けない。
本当の一大事が起こった時に政府機構が機能しなくなるからだ。

周囲の人は安倍総理の逆鱗に触れる事を恐れて衷心から諫言する人がいなくなる。また虎の威を借る何とやらで側近の中から佞臣が出て来て、佞臣は政敵と見れば、有為の人材でも讒言を弄して左遷する。勢い官僚達は萎縮して総理や側近に都合の良い報告しか上げなくなる。

一国家にとって公式行事の私物化、一私学の許認可の問題は大変些末な問題である。
しかし、大事にしてしまったのは安倍総理の危機管理能力の甘さであると思う。

そして、新型コロナウィルスのパンデミックの危機などが起こると日頃の怠慢がもろに出て国民生活を直撃することになる。

私は早くこの人の総理としての資質の無さに疑問を感じるべきだった。安倍総理は新自由主義的なグローバリストで竹中平蔵、小泉純一郎路線の正統な継承者だったのだ。また、恐らくモリカケサクラで官僚に様々な弱味を握られている。消費増税も止められないし、ケインズ的な政策を打つこともない。
消費増税の失敗を認めない姿勢や外交でも政策でも成果を粉飾する姿勢は桜を見る会の疑惑隠しの姿勢に通じる。
問題は山積しているが、国政に期待をするのは無理だ。
人類社会の今後は文明は近代的だが中世的な世界に逆戻りしていくのだと思われてならない。

◎学習記録は大した進展がない。図書館から唐詩選と
玉台新詠、聖徳太子集を借りる。妙葉抄用である。
文選の序文を読んだが、古今集の仮名序真名序に影響を与えていると思った。李白の秋浦歌と唐詩選の書中に出てくる史記の荊軻の逸話を書写した。

当方の諸事情により新ブログも文字の体裁やレイアウト等に当面力を入れられなくなった。迂闊であり痛恨のミスである。日々の怠慢を恥じ入るばかりである。
最低限、プレーンなテキストではあるが、読みやすく
文意が通じるように心がけたい。

今日は癸の日の前日だが私の命式の年日支と流日運の支が水局をなすので何だか書いてしまった。

◎英和辞典の900字は未だにa,anの途中。
しかし、接尾辞、接頭辞は調べていて楽しい。
com- bat 共に打つ → 戦う
com- bine 共につなぐ → 結合する
de(離れる) part(地点を) ure(名詞化接尾辞) → 出発する。

fail(失敗する) ure(名詞化) → 失敗
struct(構造という語根) ure → 構造
ab(離れる) struct(構造) → 抽象化する etc...

語根、接尾辞、接頭辞の意味と単語そのものの意味は必ずしも近い訳ではないが、微妙な距離感があるものだと承知の上でイメージして覚えると記憶の定着が良くなるようだ。


(令和2年2月10日 庚子年 戊寅月 癸未日)
「麒麟が来る」が面白い。美濃の国からの視点で戦国時代を見る。黒澤映画的な美意識が懐かしい。
「いだてん」も悪く書かれる程ではないと思う。
じっくり観れば名作かも知れない。
私も途中で挫折した。一二回見忘れたのだ。
(DVDでいつか一気見したいと思っている。)

その「麒麟が来る」も昨晩と先週は日曜8時に見られなかった。寝込んでしまうと2旬もあっと言う間である。
英語学習もその他もはかどりが悪かった。

今旬の干支日運の巡りは自分の大運の巡行と同じだ。
壬午の昨日は何故か寝込んでしまった。
2月14日の戊子日辺りまでは注目。

①英単語900はやっとaの1番目の意味が終わったところである。

②接頭辞・接尾辞も攻め口に加える事にした。
ラテン語、ギリシア語、アラビア語由来がわかる。
新語や造語の対応力がつくらしい。

③発音をカタカナ表記してきたが止める事にした。
スムーズに例文が読めない。二重母音aeは
エァでは綺麗な発音が出来ない。エという口の形でアという感じが正しい。発音も攻め口。

④妙葉抄の英語版として名演説と呼ばれるものを書写し、自分なりに和訳するのも攻め口にする。
ゲティスバーグ演説や"Stay hungry. Stay foolish."
演説など。映画の長い名台詞や大統領の一般教書演説なども勉強になるかも知れない。ライシャワー駐日大使の文章など。。。スティーヴ・ジョヴズの言葉を日本語的に解釈すると「挑戦者であれ。謙虚であれ。」だろうか?

⑤ワシントン大統領の名言に出会う。
Honesty is always the best policy.
正直は常に最上の政策である。

IT is better to offer no excuse than a bad one.
下手な言い訳をするくらいなら、言い訳しない方が良い。

測量士であり、軍人らしい見識のある言葉だと感じた。

「インディアンは狼」だと一貫して根絶しようとしていたワシントンだが、改めてアメリカ合衆国建国当初のインディアンと白人との関係の抜き差しならぬ険悪さに思いを馳せる。

彼らの不幸な邂逅から200年近く経っている。双方ともに憎悪の連鎖が重なりどちらかが滅ぶまで争いは止められない段階になっていたのだろう。
そのような不幸な紛争の類型は世界中に枚挙に暇がない。


(以下私見)
釈尊を神格化せず、哲学者ゴータマと規定して
その哲学をキリスト、イスラム教圏の人々に
伝統慣習を変えない範囲で取り入れてもらう事は出来ないだろうかと夢想する。

哲学者ゴータマ・ブッタ自身は自らを神格化することも姿形を拝ませることも否定していた。
「私は古の聖人の道を見つけ出しただけだ」と言っている。仏像は後世の人が自らの心の拠り所とするために作られはじめた。


人間は誰しも生老病死から免れない。
その点において人は皆平等である。
人間には欲望があり、それが満たされないと苦しむ。
この身体は我のもの、この思いは我のものというとらわれを捨てると苦しみは無くなる。

しかし、それは大変難しい。
欲望は生きていく上で必要なものでもある。
しかし、より少ない方が望ましい。

人は縁起の元に平等である。
苦しみのない人はいない。
自らを燈とし、法(道理)を燈とする。
すると逆説的に人は一人では生きて行けない事に気づく。

この道理に基づいた価値観を世界の全ての人々が
共有すれば、憎悪の連鎖は次第に止むような気がする。




(令和2年2月6日 庚子年 戊寅月 己卯日)
晩学綱紀の起請文に連ねた目標を集約し、喫緊の課題を絞る。さすがに夢ばかり見てもいられない(苦笑)

①運動(規則正しい生活、家事労働をする+α)
②IT(ネットワーク系の知識中心)
③法律(日本国憲法~民法、商法。。。)
④英語
⑤簿記・会計(簿記3級)

⑥占術(日記で干支暦にまず馴染む。命造を作る)



(令和2年2月4日 庚子年 戊寅月 丁丑日 立春)
学習に関する6つの基本姿勢がまとまる。

私が読書が苦手だった原因は単語・用語の知識不足に起因する。私自身が小中高の教育課程において一般教養を養うという目的を怠ってきた報いである。
また、他人の話をよく聞けないのと同じで他人の文章に集中して耳を傾けず、自分勝手に興味のおもむくままに妄想に脱線して飽きてしまう悪癖もある。

この2つは鶏と卵の関係なので、面倒ではあるが学習対象の要部を筆写する事を今後の学習の基本方針とすることにした。

具体的には
①書き写す事を主体とした学習法。

②書き写す上で具体に思考を巡らし、時間がかかっても
対象の書写を全うする。投げ出さない限りヴァイタルである。また、「鉄は熱い内に打て」とは本当に名言で、体調不良を理由に中断した不定冠詞a,anの事柄の大半を忘れていた。しかし、1/900語なので仕方がない。
愚公移山の故事でも2年、石の上にも3年。
目に見えて効果が現れるとしても英語では令和4,5年だと思う。

③書き写すべき対象は学習対象と常に意識してレンズのピント合わせを行わなければならない。
これも妥協しては行けない。本格的に学習に着手する前に入念にしたいと思う。筆写して学習対象が明解に理解できなければ非効率的だし、本質をとらえられない。

④古人聖賢の教えにあたる。人類の有り様は生活様式や価値観が大きく異なっても不変の原理がある。古典は朽ちずに読み継がれてきただけにそれに肉迫する。

⑤四海八紘を常に見渡す。今現在世界にどのような問題があるのか知りたい。
私はこれに関して、ネット保守の有名人にアウトソーシングしてきた。しかし、人によって情報へのアプローチの仕方、問題意識の持ち方はさまざまだ。
四名の先生を例に上げさせて頂くが、

西尾幹二氏には日本の現状に対して熱く問題点を指摘されておられるもののどこか日本に対しての冷めた感覚を持っておられる。リアリストであると尊敬する。

故・西部邁氏には一見投げ槍だったり、議論を弄ぶような一面がありながら実は相当シャイな愛国者で「ジャップ」と罵る言葉には温かみが感じられた。

宮崎正弘氏は中国情報をはじめ足で稼いで来た世界の情報があり、要人に合わず、滞在する国々の市井の人の本音に迫る事で長期的な世界の鄒勢を探るには大変有益な情報をもたらしてくれる。

一方河添恵子氏の情報は対照的に要人のコネクションに着目している。特にも要人の夫人達の関係性や客家人、
華人社会の現在の実情に通暁しているので短期的な事柄の予測には私はとても興味深く聞いていた。

(あくまで私自身の主観に基づく見解です。ご了承下さい。)

とはいえ、情報を受け取る私自身のキャパシティを増やさないと成長がない気がしている。情報の取捨選択で混乱する自分がいる。
四海八紘を見渡すとは人任せにしないという戒めだ。

⑥一読万通が理想。1回読んだだけで、種種の学習知識の復習と、瞬時の問題解決、教養は深まり、未来への予習となるのが理想。死ぬ瞬間にこんなになれたら幸せだ。


上記の目標の実現に向けて晩学の6つの流儀を定めた。




調



の六儀である。

◎始は学ぶべき対象を常に見出だす姿勢。
◎算はそれについて具体的なイメージを持つまで下調べをする姿勢。
◎概は下調べを元に学習対象の淵源・本質を知ろうとする姿勢。熟達の人や至上のものことに触れるのが望ましい。そしてその中で自分の現在の分限を見極める。
◎調はレンズのピント合わせ、料理の下拵えのようなもので自身の視覚を主として五感の官能に合わせて学習の方法を具体化・最適化していく姿勢。
◎修は学習方針・方法が固まっていて固い決意で実行する姿勢。
◎了は修の実践で習慣化した学習を最後まで全うする姿勢である。







(令和2年1月31日 己亥年 己丑月 癸酉日)
しばらく、本が自由に読めないので、辞書と裏紙だけで
ひたすら英和辞典の最重要900語の書写をすることにした。10日近くかかって不定冠詞a,anの半ばである。
手応えはある。

①辞書の読み方に慣れてくる。
②語法はその項の単語自体ではないが、関連事項を学べる。
③例文の単語は調べなくても差し支えないが、語法で取り上げられた単語は調べるとより広く深く学べる「気がする。」


(令和2年1月26日 己亥年 丁丑月 己巳日)
日頃の多弁・饒舌に関し父と口論。
賢しい言動を慎む事を決意した。
その最たるモノが新旧のブログである。
当面記事は非表示更新もなしとする。

しかし、再開のタイミングや、賢しらな言動(多弁・饒舌)を本当に直せるのか不安。ストレスも溜まる気がする。その週5日間、活動できなかった。
久しぶりに憂鬱な症状で寝込む。

その後、
令和2年2月4日 庚子年 戊寅月 丁丑日 立春
学習に関する6つの基本姿勢がまとまる。
また、内心の勃勃たる情を偽ることが出来ずブログを更新する

(令和2年 己亥年 丁丑月 乙丑日)
晩学綱紀 本文目次

第1部 学習全般の通則
第2部 学習項目の優先順位
第3部 学習時間の確保
第4部 国語の学習法
第5部 外国語の学習法
第6部 社会学の学習法
第7部 理科学の学習法
第8部 数学の学習法
第9部 法律学の学習法
第10部 経営学の学習法
第11部 会計学の学習法
第12部 情報工学の学習法
第12部 修辞学・会話術の学習法
第13部 心理学の学習法
第14部 宗教・哲学の学習法
第15部 仏教学の学習法
第16部 原子力に関する事柄の学習法
第17部 温暖化・砂漠化に関する事柄の学習法
第18部 資格試験に対する効率的学習の研究
第19部 時事問題に関する情報収集
第20部 本規則改正に関する取り決め
第21部 健康管理

◎第2部 優先順位の規則策定急務。臨機応変かつ確実な前進なくば、遠大な目標も画餅。

まず、就職先が決まっていない。
汎用性のある実学を優先すべきだ。
①体力作り(立ち仕事に耐えられる体力)
②病状の把握(心の病の寛解)
③語学(英語)IT系は蔵書数が少ない。
④簿記3級(体力が回復、病状平坦でないと受験は無理)
⑤有縁の勉強(歴史・妙葉抄)


(下の文のヒント要点抜き書き)
◎鳥 魚 虫
鳥の目勉強法が足りない。

◎反復学習試案
(今、学習している事柄が枝葉末節か根幹か見極めないと収集つかなくなる恐れあり)
1.視界に届く範囲で全てを記述。
2.好奇心の赴くままに調べまくる。
3.調べまくり散らかしまくった知識の断片を片付ける。
4.知識の空白部分がどこか認識する。
5.その知識の空白を意識しつつノートを取りながら読む。

◎普段心がけること
①古代の人名・神名はなるだけ漢字で書く。
②漢辞海で字義を調べて記憶に厚みを持たせる。
③暇潰しはなるべくゲームより辞書遊び。
④ダラダラ帳には予め調べたい言葉を書き連ねる。
⑤書類の整理が少しは部屋の美化に繋がるようにする。


◎アメリカ50州の分類
建国13植民地三分類
①南部(一番早く植民進む。タバコ、米、藍)
ヴァージニア、メリーランド、デラウェア、ノースカロライナ、サウスカロライナ各州

②北部(南部に少し遅れる。船舶用品、海産物輸出、自給自足の農業植民地で宗教結社の共同体の自治意識が高かった。)
マサチューセッツ、ロードアイランド、コネティカット、ニューハンプシャー各州

③中部(旧オランダの植民地地域 カリブ海とヨーロッパ向け食料輸出の為の植民地になる)
ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルヴァニア各州

(上杉忍著 アメリカ黒人の歴史 ―奴隷貿易からオバマ大統領まで― 中公新書2209 21~22頁参照)


現代のアメリカ50州地域別分類
1.北部11州
メイン州
ニューハンプシャー州
ヴァーモント州
マサチューセッツ州
ロードアイランド州
コネチカット州
ニューヨーク州
ペンシルヴェニア州
ニュージャージー州
デラウェア州
メリーランド州
他に首都 ワシントン・コロンビア・特別区がある。

2.南部(12州)
ケンタッキー州
ウェストヴァージニア州
ヴァージニア州
テネシー州
ノースカロライナ州
アーカンソー州
ルイジアナ州
ミシシッピ州
アラバマ州
ジョージア州

3.中西部11州
ノースダコタ州
サウスダコタ州
ネブラスカ州
カンザス州
ミネソタ州
アイオワ州
ミズーリ州
ウィスコンシン州
イリノイ州
ミシガン州
インディアナ州

4.西部13州
ワシントン州
オレゴン州
ネバダ州
カリフォルニア州
アイダホ州
ユタ州
アリゾナ州
モンタナ州
ワイオミング州
コロラド州
ニューメキシコ州
オクラホマ州
テキサス州

5.本土以外(2州)
アラスカ州
ハワイ州

6.コモンウェルスなど
プエルトリコ
グアム
北マリアナ諸島
米領ヴァージン諸島
米領サモア



美豆能都迷蒙(条文化以前の草稿)
(R1 12 2 癸酉)
鳥 魚 虫
鳥の目勉強法が足りない。

(R1.12.6 丁丑)
緻密に勉強して記憶が定着せず有始無終になっている。
反復が足りないが、虫の目だけでは行き着かない。
鳥の目の学びかたとして一記事にダラダラと同一分野を書き出して流し読み出来るようにする。
ノート規則には追加の条項を設けるか大幅な書き直しが必要か?

(R1.12.13 癸未)
今旬は天皇歴代を書き写し、在位年を記す事で鳥の目学習法を試した。

A3用紙を横に使い20代ごとに列記する。在位年のみ記す(在位年は今上陛下ご即位の日の岩手日報の特集記事を参照した。)歴代の事績を記そうと目論む。

ところが、闕史八代で事績の記述につまずく。
ネット等の記述も茫漠(広2679.3)としてつかみどころがない。気力が失せる事、大である。

また筆写して全部で5枚になる。しかし、一覧性に難があるためか「学びの次の展開」が思い浮かばなかった。
鳥の目とは言えない。。。
この反省の元に昨晩風呂上がりにA4の裏紙一枚に
126代をびっちり書き出してみた。
これが甚だ塩梅が良かった。

視界の中に全てが見える。
女性天皇は何人いるんだっけ(10代8人)
諡に先例がないのに「後」がつく諡があるのは何故?
(前代の天皇呼称の別名に「後」をつけて諡とした。)
など好奇心を掻き立てられる。

読書が嫌いである理由が判明しつつある。
読解する知識量が少ないために頭の中が桁溢れしてしまうのだ。It's greek to me.である。

また、忍耐力・辛抱が足らないという事もある。
読書に集中する際に沸き起こる好奇心や疑問は
私にとっては雑念になる。
話が横に逸れ、多岐亡羊となる。

1.視界に届く範囲で全てを記述。
2.好奇心の赴くままに調べまくる。
3.調べまくり散らかしまくった知識の断片を片付ける。
4.知識の空白部分がどこか認識する。
5.その知識の空白を意識しつつノートを取りながら読む。

1~5を苦痛が無くなるまで繰り返す。
これではじめて息抜きにその分野の読書が可能になると
仮説を立ててみる。

論文なりinterestingな文章を書くには、この反復練習が必要で、典拠・出典を一々上げる事が億劫な私にとっては頭の中にある程度、何が何処に書いてあったかすぐに思い出せないと著述という作業には耐えられないようだ。

ダラダラ記述帳は暇潰しとエゴサーチやゴシップ記事などを見る暇があるなら、事柄を覚える為に1つのテーマで長々記述した方が良かろうか?と考えて試した。
しかし、天皇陛下の記事のように既に完成した長い記事に加筆するのはスマホでは大変不便だ。
テキストデータやエクセルの方が良い。
長すぎるのも良し悪し、かといって多分野・多記事を
日付をいじってブログの上に持ってくるのも煩雑に過ぎる。

今の私には「まともな文章」を書くことは荷が勝ちすぎている。真面目に読んでくだすっている読者の方がいたのなら謝りたい。

この辺まで私の講釈を読んで下さった方には申し訳ないですが、自分の為の文章をしばらく書くと思います。
道聴塗説(広2624.4)、口耳四寸の学(広981.4)と思ってお目こぼし頂ければ幸いです。

(追記)
コツメカワウソの獺祭動画を観ましたが、かわいくて水の中でとてもすばしっこいです。あっと言う間に三匹くらい魚を捕まえて前肢の間に大事に置いて一匹ずつ食べていました。野生だともっと一杯並べるんでしょうね。

(R1.12.22 癸巳 冬至)
◎太陽が弱くなるのも今日まで、明日からは日が長くなる。今旬はブログは充実したものの、ノート疎か。

◎整理前に考えたアイディア
①古代の人名・神名はなるだけ漢字で書く。
②漢辞海で字義を調べて記憶に厚みを持たせる。
③暇潰しはなるべくゲームより辞書遊び。
④ダラダラ帳には予め調べたい言葉を書き連ねる。
⑤書類の整理が少しは部屋の美化に繋がるようにする。


◎本日の書類整理
裏紙の半端を整理する。
①これから調べる用語用に束ねて保管。
②まとめる練習用に保管。
③①は調べ終えたら②に転用、②は余白が無くなったら破って捨てる。

◎アメリカ50州の把握の仕方について
ブロックに分けて覚えるのが良いと思った。
南部、北部、フロンティア。
しかし、フロンティア(西部)は歴史的に西漸したので
把握が難しい。
あるブログで南部、北部、中西部、西部と分けている地図を発見した。中西部という区分は当時のアメリカ人も何と呼んでいいか苦心して名付けたものらしい。

よってダラダラ帳にアメリカあれこれを足した。

(R2.1.1 己亥年 丙子月 癸卯日 元旦)
◎今後は干支暦表記は節月表記に統一する。
四柱推命の勉強に都合がよい。
節月表記にすると未だ亥年で寒が明けて
立春にはじめて庚子年になる。

◎3,4日前からまとまった記事を元旦0時にアップ出来たら良いと思って書きためて来たが、後半記事ぞんざいだ。また、多少字の色に凝るが読みやすいとは言えない。アメリカ大統領の簡単なプロフィールは一記事にまとめるべきだった。未完成なので後日一記事に改めて掲載したい。投稿時間をいじって順番に並べる。


(R2.1.11 己亥年己丑月癸丑日)
◎今旬はほとんど進捗なし。

◎終日寝込む日多し。庭の雪掻きと初詣でが鈍る身体に堪えたか?前旬の軽躁の落差か?わからない。

◎ノートの取り方の規則ではなく、もっと広い学習の気付きを条文化したいので晩学綱紀と改めて前文を記す。

◎ワシントンの生地とルーツを調べた。また、マーティン・ヴァンビューレンまでの英字綴りと在職年月日を書写した。

◎Wordのボタンがあり、そこを押せば体裁をスタイルシート化してもらえるようだが、如何せん、CSSファイルではなく、ブログのHTMLに埋め込むのでワードをコピペした後に体裁を変えると、おかしくなる。

◎暫くはWordで清書して、誤字も直して、コピペ更新か。いずれ外部CSSの勉強もせずばなるまい。
印刷屋の息子として恥ずかしい体裁だ。

◎「崔子玉」の座右銘を最近まで知らなかった。
素晴らしい教訓がシナ人だけでなく、弘法大師や松尾芭蕉に影響を与え、今でも座右とする偉人が多い。
1800年経っているが朽ちることはない。

仏様の教えや、十七条憲法などの条条は
今読んでも身に迫る。
このような言の葉こそ「人類の知的遺産」だ。
しかし、現代の政治家の言の葉に100年残る言葉はあるだろうか?
また、私の文章に1年残る言の葉はあるか?
悪い意味で恥だけが2,3年忘れ去られず、後はただ記憶もされずに消えていく。

◎まずはアメリカ大統領プロフィールの45代までの記述の質の平均化だ。妙葉抄は「妙なる言の葉を抄出したもの」という意味で名付けた。暇潰しに更新したい。

◎ダラダラ帳はほとんどメモの切れ端の山で引用+本人のどうでもよい記述が混ざっている。
あまり参考にならないので読まないで欲しいです。

◎晩学綱紀は大幅に書き直す。
鳥、虫、魚の勉強方法の使い分けを明記する。

◎「無駄を無くすためには、どこかを無駄にしなきゃね」「長い時間を用意されてももて余す事もあるわよ。
むしろ3週間とかしかないほうがみっちり集中できるわよ」夢の中の人が言っていた。お告げみたいだ。



(令和2年1月21日 癸亥)
◎暦日一巡の最終日であるが、書類整理進まず。

◎晩学綱紀の前文完成する。今のものは冒頭の詩編とし、その後に郷里の守り神山田の関口に坐す不動明王への起請文として記す事とした。

◎最終的な目標はこの世界を少しでも阿弥陀如来の仏国土に近づけるべく修行することである。

阿弥陀如来の四十八願は一切の衆生を救わんが為に建てられているが、但し書きがある。
阿弥陀如来の浄土に生まれることを願わない人は無理矢理極楽に往生させようとはしないということである。

キリスト教徒は聖書の道を進み、
イスラム教徒はクルアーンの道を進み、
安寧の境地に達し、永遠の天国に生まれることが出来る筈だからである。

それであるなら、彼らに阿弥陀如来の救済を無理強いすることは、阿弥陀如来の本願に反する行いであり、
私は己の信念に基づき尊い行いをされている全ての道の人に敬意を表したい。

また、無神論者も救済を無理強いするものではない。
仏教によって説かれるところの縁起によってその人は無神論者になったのであるから、私はその人の考えを尊重するだけである。

しかし、四十八願のただし書きに書かれた人びとが困っていたならば必ず助けの手を差しのべる力のある人間になりたい。また、あくまでそれは私自身の修行の一貫なので見返りに阿弥陀如来への信心を強制することはない。むしろそのような気苦労をさせるのは菩薩としては失格である。

◎私には「書く学習法」が一番あっているようだ。
難点は時間がかかること。「書く」から「読む」に格上げさせたい。






野党にたりないもの②

私はロヒンギャやアフガン、イラク、シリアなどの国内の混乱、インドの低カーストの貧困や差別の問題に非常に関心がある。またアジア諸国の貧困による少女売春の問題や人身売買の問題に胸を痛めている。知れば知るほど闇が深く己の無知無力を痛感する。

しかし、私にとって取りうる道はただ1つ、
今の鬱なのか躁なのか双極性なのかよくわからない心の病を何とか宥めて労働できる身になり、税金を納め、老親を養えるようにすることだ。
出来れば伴侶を得るにこしたことはないが、独行独歩はお釈迦様ゴータマ・ブッダの教えに叶う。
「犀の角のように一人歩め」と原始仏典にある。

故郷への貢献や赤十字等通じての寄付、諸々のボランティア活動を永続的に自分が行うためにはまず自らの足下生活基盤を固めなければならないと思う。

私は日本国民の大半が近代的な戦争を望まないと思う。
世界中の良識ある一般庶民(ただし無教養な人々は除く。無教養な人は目先の愛国主義に煽動されやすい。アメリカの対テロ戦争などをみれば、情報を一方的に制限され、多くの手練手管を使った支配者のプロパガンダにいとも簡単に乗っかってしまう)も同様である。

戦争の危機を煽って得をするのは
軍事産業や資源を取り扱う商社、
貴金属会社(スコシア・モカッタ等のロンドンの金市場の五社)石油メジャーや食料メジャー。
投機的な行為で莫大な富を得るファンドとか銀行である。

また、政府も政策が失敗すると対外的にあえて緊張を煽って国民の批判の目を反らす。
かくしてプロレス、出来レースのような小競り合いが繰り返される。

世界各国の一般大衆は右往左往するしかない。

だから私は「絶対反戦主義者」の方々には英語始め、
世界の言語に堪能になって頂きたい。
そしてソーシャルメディアでも何でも良いから、日本の憲法9条をあなたの国でも加えるべきだと論理的に説得してほしい。

内向きに世界平和を訴えるのではなく、
国外に向かって発信して欲しい。
きっと変な顔をされるに違いないが、
めげずに何度でも発信をし、どうすれば
平和を実現できるか真剣に考えて欲しい。
恐らく哲学的に死や生とは何か、生きるとは何か考えなければ、世界の人々の、得に怒り狂った、怨みに心を囚われた人々の心を動かす事は出来ないと思います。

野党の国会議員の方々にはそのような哲学的な深いところからの人間に対する洞察に根差した国家観や政策の提示を望みます。

以上、野党の皆様と、絶対反戦主義者の皆様への
エールでございました。
世界平和の為に頑張って頂きたいです。
(皮肉ではなく私は本気です。目的が達成されるなら、方法にこだわりはありません。)

野党勢力に足りないもの

安倍政権の体たらくは、世界的に批判の的になっている。

消費増税のタイミングとコロナウィルスの水際対策の不徹底だ。私は「さもありなん」と思う。
この政権の特徴は「責任を取りたがらない」事にあると思う。

イベントの自粛判断を何らの基準指針を定めることなく民間の主催者に判断を委ねるなど酷に過ぎる。
一律に自粛を促すにせよ、経済活動を優先させるにせよ、どちらでも批判されるだろう。

オリンピックに関しても既存の施設を有効活用して低コストで開催できることを誘致の強みにしていた筈だが、当初の見積もりに相違して関連予算はどんどん増えていった。これに対しても誰も「私が責任を取ります」とリーダーシップを取る人がいなかった。

復興五輪を謳いながら、震災被災地の土木工事の需要の高まりと相俟って供給能力不足から建築資材の高騰や人件費の高騰を招き、被災地復興のプロセスが遅れたのも皮肉である。

夏までにコロナウィルスの蔓延が収束しなければ巨費を投じた五輪開催も危うい。
中止ではなく、来年に延期する事等を今のうちに検討すべきだと個人的に思う。

森友学園の国有地の不当な値引き疑惑。
首相の腹心の友である加計孝太郎氏の経営する岡山理科大獣医学部今治キャンパスの認可の問題。
桜を見る会の地元有権者大量招待。
(常識的にみて公選法または政治資金規制法のいずれかに
抵触する事は明白で、どちらにも当たらないと苦しい弁明を安倍晋三氏と内閣府が続けているのが国会空転の真因である。)

これらの問題は直接的、短期的に見てあまり国民の大多数には実害が及ばない。しかし、「蟻の穴から堤も崩れる」の喩えもある。

卑近な例えで恐縮だが急に与四球が増え出した先発ピッチャーに似ている。
イニングは7回表2連続四球で1死1,2塁。ここまでランナーは出すものの何とか無失点に抑えて来た安倍投手。
だが、相手打者も球筋を把握しだし、タイミングが合わないがヒット性のファールが増えてきた。
いわゆる試合の「流れ」が変わるターニングポイントだ。

ベンチは速やかにピッチャーを交代すべきだった。
ワンポイントリリーフでよい。
甲子園の世界なら外野に安倍投手を一旦下げて
別の人に投げさせる判断が必要だったと思う。
果たして安倍投手は四球を連発。相手チームの拙攻もあり、大量失点は免れているが二死満塁となり、押し出しで1点を献上した。次のバッターにもボールが先行してスリーボール・ノー・ストライク。
もはやチームは安倍投手と運命を共にせねばならない。
こんな状態でピッチャーを交代したら、リリーフピッチャーもキツい。ぼこぼこに打たれても塁が綺麗になってから交代しないとリリーフピッチャーの球数も無駄に増える。ピッチャー交代は遅きに失した。


私が懸念したのは、首相に「弱点」、「攻めどころ」が
出来ることであった。無理を押し付けた官僚に弱味を握られた。あるいは確実に怨みを買っている。
十七条憲法の第4条をよく読んで欲しい。
理不尽な人事が横行すれば、官僚は心服しなくなる。
何かのきっかけで不満が爆発する恐れがある。
安倍氏はそれが怖い。更に強力な恐怖でもって官僚を支配する。官僚のモチベーションは低下し、モラルが崩壊して「小さな安倍氏」が各所に誕生する。また真面目な官僚は首相のつまらぬ嘘のつじつま合わせに膨大な時間を費やす。心身ともに疲弊する。

そんなところに「新型コロナウィルス」の危機が発生した。これまでの問題と違い国民生活をもろに直撃する問題だ。安倍政権はこのような難しい問題は対処できないだろう。自分のクビをかけて決断をする気骨のある人は遠ざけられている
安倍氏はイエスマンしか側に置いていないので
非常時には安倍氏の部下は一々安倍氏や安倍氏の側近にお伺いを立てないと後が恐ろしい。
事が収まった後に諸方面から批判された時に庇ってくれないし、下手をすれば蜥蜴の尻尾にされてしまう。
同様の事象は今後も非常時の度に起こるだろう。

先に列挙したスキャンダルに加えて
立憲民主や共産党を中心とする野党勢力にとっては格好の攻撃材料を提供していくれているので批判はエンドレスだ。
しかし、安倍政権は倒れない。選挙をやっても政府与党は議席数は若干減らしても政権交代には至らないと私も考えるようになった。

だがそれは安倍晋三氏個人にとって残酷な未来が待っていることを意味する。
総理を辞めるに辞められず誇って来た功績が全て粉飾であった事が少しずつ少しずつ暴露されていく、後継者を巡って争いが行われる中で安倍氏は党内で少しずつ存在感を失い、最終的には誰にも顧みられなくなるようになる。爪先から寸刻みに斬られながら苦痛にのたうち回りながら死を迎えるようなシナの死刑のように安倍氏は少しずつ旧悪が露見し、真綿で首を占められるように緩慢な形で、しかし確実に全てを失い政治生命を終えるだろう。

私にはとても見るに堪えない。残酷過ぎる。
自分の蒔いた種であるから仕方がない。

では、なぜ野党に対する支持が集まらないのだろうか?
正直なところ政権交代より次の選挙に受かる事の方が大事だと考えているようにしか私には見えない。
次の選挙まで「モリカケ騒動が続かないかなあ」と漏らす野党議員もいると聞く。
国民に提示すべき国家像をある程度擦り合わせすべきだがそれを怠り先延ばしにしている。また、全盛権時の総括もしていない。(しているのかも知れないが発信が少ない。)

今のような政治状況を作り出したのは小沢一郎さんの功績によるところが大きい。
私には小沢さんの目指すべき所は理念がなくて一貫性がないと思って来たが、小沢さんの行動理念には実は一本筋が通っていた。

即ち「我が国に二大政党制を根付かせて、政治にダイナミズムをもたらす事」だ。そして彼は半ばその事をやり遂げた。長きに渡る自民党政権に終止符を打ち、民主党政権を樹立させたのである。

ところが、小沢さんの手法には無理があった。
政権交代の数会わせの為に護憲勢力をも取り込んでしまった。日本国憲法を守ろうとする人々はリベラルと呼んで良いのか左翼と呼んでよいのかわからない。
「絶対反戦主義者」とでも呼んだら良いのだろうか?世界的に見ても特異な存在だと思う。

日本ほどの経済規模の国家で交戦権まで否定する国は珍しい。スイスは永世中立国だが、国民皆兵で各戸に核シェルターを備え、防衛上の要所には陣地を築いている。

果たしてアメリカの犬である今の日本に永世中立国になる具体的な道筋が見出だせるだろうか?
「絶対反戦主義者」の代表である国会議員さんの顔ぶれを見るとどうも国際社会の現実に疎い人が多い。

アメリカに経済も軍事も首根っこを押さえつけられている日本の現状を直視せず「護憲」の二文字を金科玉条とし、内政面における政府官僚のスキャンダル叩きで点数稼ぎをして有権者の気を引こうとしている。
その攻撃姿勢は往々にして傲慢で政権を奪取したら今の自民党よりうまく政権運営が出来ると高を括っている。

結局それが民主党政権の外交面での迷走を招き、
官僚との信頼関係を築けず、
マニフェストは実現できず、
「絶対反戦主義者」と「現実的リベラル派」の分裂を
招いたと私は思う。

その溝は今も埋まらずに野党共闘は進まない。
小沢一郎さんの限界はそこにあった。
アメリカ合衆国は、フェデラリストもリパブリカンも共に呉越同舟で独立をイギリスから勝ち取ったのであって、国家の危機には政治的な立場を超えて保守もリベラルも関係なく銃を取り祖国アメリカを守るんだというコンセンサスがあった。

日本にはそのようなコンセンサスはない。
「悲惨な戦争はまっぴらゴメンだ」という考えの人と
「日本国として真の主権回復を果たさなければ、日本はいつまで経っても世界の金ずるだ。国益なんて守れない」という考えの人と2つの思想が平行線である。

私は後者の考えだが、前者の考えの人々の懸念払拭の為に論理的に説明し、抑止力の為の軍事力、鞘に収まったままの刀のように平和を維持する為にはどうしたら良いか考えを深めたい。

前者の考えの人々には広く世界の現実と人間の醜悪なる戦争の歴史に思いを馳せて欲しいと願う。
コロンブスのようなコンキスタドールに蹂躙されたネイティブアメリカンのような悲劇を日本で繰り広げられるのはこの国を愛する者としてあまりにも悲しい。

コンキスタドールは軍事的な征服者をのみ示すのではない。経済市場やインフラのへの侵略行為も含まれる。

このような「絶対反戦主義者」の人々に二大政党制の一翼を担わせようとする限り、二大政党制は日本には根付かないと感じる。
むしろ中選挙区制時代の方が自民党にも派閥の自浄作用が働き、社会党の主張もある程度反映され塩梅が良かったのではなかろうか?
もちろんこれは浅学の外野の後知恵に過ぎないのだが。。。

詠不惑感慨

詠不惑感慨

日高孟春

吾青春悉如塵芥
一世歳月是豚児
幸哉無蒙害貞妻
独行独歩勧釈子

不惑の感慨を詠ず

吾が青春は悉く塵芥の如し
一世の歳月是れ豚児
幸いなるかな蒙害の貞妻無し
独行独歩は釈子も勧むるところなり

(意訳)
私の青春時代は悉くゴミくずのようなものだった。
これまでの半生は全く豚児であった。
苦労をかける健気な妻がいなかったのは幸いだった。
「独り歩め」とお釈迦様も勧めている。

(同日追記)
七言絶句を作ろうと思いましたが、
脚韻は1,2,4句で踏まないと行けないと作った後に知りました。平仄という規則もあるようでむつかしいものです。



詠不惑感慨

日高孟春

吾青春悉似豚児
集塵芥更作滓耳
幸哉無蒙害貞妻
独行独歩勧釈子

吾が青春は悉く豚児に似る
塵芥を集めて更に滓を作すのみ
幸なる哉蒙害の貞妻無し
独行独歩は釈子も勧むるところなり

作り直しましたが作品として鮮度が落ちた気がします。
結句の「独行独歩は釈子も勧むるところなり」は生かしたい所です。

讃摩訶迦葉

日高 孟春

拈華而微笑
衆念各別事
一挙不可詳
独覚去瞋恚


摩訶迦葉(まかかしょう)を讃ず

拈華(ねんげ)し、而(しこう)して微笑(びしょう)す
衆(しゅう)、各(おのおの)別事(べつじ)を念ふ
一挙(いっきょ)は詳(つまびら)かにすべからず
独(ひと)り覚(かく)して瞋恚(しんに)を去る

(意訳)
(ある時釈尊が弟子の前で)蓮華の華を一輪掲げ持ち、そうして微笑なさった。
(目の前にいた比丘衆は一体なんの事かわからず)各各心に釈尊の真意は何なのか思念した。
しかし、一挙手一投足のみで他人が何を考えているのか
つまびらかに知ること自体が不可能である。
摩訶迦葉尊者は独りその心理を覚られた。
(これよりは詠者全くの愚見)
だからこそ、物事をよくよく正しく観ることが重要であり、他人の一時の言動や行動で物事を判断せず、黙々と正しい精進に勤め励む事が必要であり、自分以外の他者への一時的な反応で腹を立てることは戒めなければならないと覚った。
それ故迦葉尊者は怒りの心を離れる事が出来た。
釈尊は褒め称えられて迦葉のみが「私の真意を理解した」と仰られた。

参禅の経験もないのによくも偉そうな事を申し上げましたが、ヨーガは日常生活でも修することが出来ます。
日々「俺の思いが何でわかってくれないんだ」と怒ることが多々あります。怒鳴り声を上げ人を威圧し、詰る。
しかし、瞋恚の心は智慧の目を曇らせ悟りへの妨げになります。

そんな時に思い出したのが「拈華微笑の逸話」です。
私は非常に短気です。感情的になりやすく、真意や物事の経緯経過を考える事なく偏執の内に惑います。
怒鳴り声を出さないような円満な人間になりたいものです。情けない。南無阿弥陀仏。



感染リスクのある人を保養施設に隔離するのはどうか?

旅行業界・飲食業界共倒れになるのなら、
今までの経過から感染リスクのある人達を
国費負担で隔離した方がよいのではなかろうか?

ホテルの空室を利用できるし、重症患者が発生した場合の把握もしやすい。
温泉地や空気のきれいな所なら免疫力も上がる。

既に感染した人でなく、感染リスクのある人を国が募って温泉旅行の補助を出す。近隣の病院スタッフも人員を拡充する。

いつものような素人の愚案です。

(令和2年2月19日追記)
コロナウィルスに感染しても無症状な人と、劇症化する人の差異を早く突き止めるべきではないでしょうか?
感染した人の病歴をデータベース化してスパコンやAIで分析すれば速いと思います。エビデンスは証明されなくても何らかの相関関係が見出だされれば、みんな安心すると思います。

新型コロナ対策として緑茶を飲むことを励行してはどうだろうか?

日々、新しいこの感染症の深刻さが増しています。
緑茶カテキンはO-157やインフルエンザウィルスの予防に役立つと聞いたことがあります。

ペットボトルやティーバッグは手軽に飲めますが、
急須にお茶の葉を入れてお湯を注げばもっと安上がりに飲める飲料です。

もはや、中国と日本は水際で感染を食い止める段階ではなくなり、今後長く付き合わねばならない感染症の1つになったと思います。

マスクもアルコールも品薄ですが、
お茶などを意識的に飲むことで感染や症状悪化のリスクが下がることを祈るばかりです。

(2月19日追記)
カテキンはウィルスの構造の中でスパイクというボコボコの突起を破壊する働きがあるそうです。
その為O-157にもインフルエンザウィルスの予防にも効果があるらしいので、緑茶、あるいは紅茶(調べてみると紅茶の方がカテキン成分が多く含まれる)などでうがいをすると、他の感染症予防にも良いそうです。

また、キノコ類、牡蠣などは人間の免疫機能を高めます。

素人ながら症状のでない保菌者と重症化する保菌者の
差異がどこから生じるのか大変興味深い。

例えば
①ウィルスが鼻や口などを通して呼吸器に侵入すると発症するのか?
消化器系や目や耳、泌尿器などの部位や傷口などから侵入した場合は症状が出ないのか?

②新型コロナウィルスには実は類似のウィルスがあり、
かつてそのウィルスに罹患した人は既に抗体が出来ているから症状が出ず、抗体のない人に症状が現れるのか?

症状が重篤化する人が比較的少ないので、
今後はインフルエンザと同様に人類と長い付き合いになる病ではないかと思います。

memento mori

山田町の関口神社の御祭神は不動明王です!!

今朝、エゴサをしたら「そもそも神社のなりたちを考えましょうよ」と既に削除されたブログのページが上がっています。

日高大輔個人はいくら馬鹿にされてもネタにされても構いませんが、山田町や親類縁者を巻き込むのは大変私も心が痛みます。

関口神社は元々修験道の道場だったらしく、
地元では「オフトー様」と呼ばれて崇敬を集めて来ました。
どういう経緯で神様も祀っていたかは分かりませんが、
本地垂迹説に則った神仏習合により成立した神社で山田町で一番格の高い古社です。

明治になって神仏分離令が出されて関口神社の御祭神は
国常立尊になっていますが、神主さんから聞いた話では奥宮では今でも線香ろうそくを上げて拝みます。

この神社のお不動さまは大変霊験あらたかであらせられます。地元の方の崇敬心も篤くご利益もあります。
関口神社までの交通アクセスは道幅も狭くあまり良いとは言えませんが、駐車スペースもあります。

是非、三陸沿岸へドライブする機会がありましたら御参拝することをお勧めします。
また、山田町役場の近くにも山田八幡宮があります。
ここの神社も応神天皇(誉田別命)をお祀りしているわけですがご神体は源義経四天王の佐藤継信、忠信兄弟が主君義経から賜った観世音菩薩像だと言い伝えられております。

義経北行ルートでは遠野から川井に抜けて鈴久名で静御前と再会したとかの話が有名ですが(県北バスの106急行に乗ると鈴久名のバス停で解説が入るのです(笑))、
山田町にも義経主従が落ち延びて来たという伝承があります。(どちらかが影武者の陽動だったのかも知れません。)

また、田の浜地区には荒神社というアイヌの神を祀った珍しい神社があったりします。

山田八幡宮は大杉神社と合わせて毎年9月に例大祭がありますし、関口神社は毎年7月頃に例大祭があります。

私は馬鹿でも虚仮でも中二病とでも呼ばれるのは構いませんが、関口神社の主たる御祭神は不動明王様(全国でも珍しいそうです)ですので、御了承頂きまして、崇敬する地元民としましては御参拝頂いて志を御寄進頂ければ幸いでございます。

m(._.)m

晩学綱紀 本文目次

晩学綱紀 本文目次

第1部 学習全般の通則
第2部 学習項目の優先順位
第3部 学習時間の確保
第4部 国語の学習法
第5部 外国語の学習法
第6部 社会学の学習法
第7部 理科学の学習法
第8部 数学の学習法
第9部 法律学の学習法
第10部 経営学の学習法
第11部 会計学の学習法
第12部 情報工学の学習法
第12部 修辞学・会話術の学習法
第13部 心理学の学習法
第14部 宗教・哲学の学習法
第15部 仏教学の学習法
第16部 原子力に関する事柄の学習法
第17部 温暖化・砂漠化に関する事柄の学習法
第18部 資格試験に対する効率的学習の研究
第19部 時事問題に関する情報収集
第20部 本規則改正に関する取り決め

父の説諭

過日、父より平素からわたくしの多弁・饒舌の行き過ぎと驕慢な言動を指摘されました。
その時に声を荒らげ抗弁をし、家族親類縁者への内弁慶な言動に加えて当ブログでも非常に居丈高で、浅薄な知識誇りを書き連ねて来た事が真っ先に想起され、半ば腹立ち紛れに新旧全てのブログの記事を非公開にしてしまいました。

寸刻の後に、自らの所信を示した晩学綱紀に、「至らざるを矯めて已むことなく、過ちて改めるに憚る事なく云々」と書いていたことが思い出され、舌の根も渇かぬ内に「過ちて改めざる」という非常に退嬰的な行為をしでかす所でした。

大いに反省したのですが、今後は言を慎む実践をし、内面の充実に励みたいと思います。

しかしながら、わたくしの中に勃勃として滾るものが在ります。煩悩というか、自我というか、負けじ魂のようなものです。そのエネルギーを仏道の精進に正しく振り向ける事が出来るように諸仏諸菩薩諸天善神に祈りつつ、ブログの更新と(恥(過去記事)の公開に励んで行く所存です。

晩学綱紀と癸メモ集のみ当面公開し、
記事の完成をもって次のテーマの記事の掲載に移りたいと思います。

立春を賀す

立春や勃勃滾るもの在りて

晩学六儀を定めた。
始、算、概、調、修、了。